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「朝鮮人が放火した」「朝鮮人が井戸に毒を入れた」「朝鮮人が襲撃する」など、まったく根拠のないデマやうわさが、口伝えにまたたく間に広まった。一部の新聞でもこれらのデマやうわさを記事にしたため、朝鮮人殺害事件が起きた。当時の政府発表で,殺害された朝鮮人は231人となっているが、研究者の間では2613人や6500人以上の朝鮮人が殺されたとする調査もある。
まさにうわさがうわさを呼び、なんの罪もない人間が地震を契機に殺されたのは、地震の被害以上に悲惨な出来事である。
震災後、アメリカやヨーロッパから救援物資が船で運ばれて来た。日本政府はこれを歓迎したが、社会主義国家が成立して間もないソ連からの救援物資は拒否した。ソ連船「レーニン号」は、食糧や医療品のほか医師、看護婦67人を乗せ、9月12日横浜港に着いたが、「救援物資の中に思想宣伝の印刷物が多数隠されている」との誤情報により、受領を拒否した。レーニン号は荷を降ろさず引き返したが、後日、そのような印刷物はなかったことが分かり、日本政府当局も釈明した。大災害時に正確な情報が伝わらなければ、うわさやデマが広がり、災害以上の被害が出る。これらの悲劇は、正確で速い情報がいかに必要であるかを物語る歴史的な出来事である。
四川大地震では被害状況を速報
四川大地震では発生当初から、比較的正確な被害状況が報道された。地震が発生した5月12日、四川省だけでも死者は8533人、周辺の省や市も含めると死者は8700人を超える、と新華社は伝えている。死者や行方不明者はその後、日を追って増えているが、その都度、数字が公表されている。
文化大革命という特殊な社会状況下にあったとはいえ、32年前の唐山地震では、発生当時、具体的な被害者数や地震の規模など一切が公表されなかったのとは雲泥の差である。
唐山地震は1976年7月28日、マグニチュード7.8で死者は24万2419人とされている。死者の数字は地震発生から3年後に公表されたが、当初は大きな地震があったことだけしか報道されなかった。南京市内の知人によると、当時、「大きな地震が南京でも起きる」と、まったく根拠のないうわさが広まり、多くの市民が地震による建物の倒壊を恐れて、自宅前にテントを張って生活していた。この状態はその年の暮れ近くまで続いたという。巨大地震の震源地から遠く離れたところでも、まったくのうわさやデマにより何カ月間も不自由なテント生活をするのは、現在では考えられないが、当時は信じられていたのだろう。
「80後」世代がボランティア活動
四川大地震では、国や省、市などの救援施策とは別に、民間人ボランティアの独自な活動が目立った。これは地震の発生後、悲惨な生活状況が細かく報道されたことにより、一般の人たちが自発的に立ち上がったことを物語っている。とくに1980年代に生まれた「80後」世代といわれる、現在19歳から28歳までの若い人たちによるボランティアが中心になっているようだ。

普段は赤地に黄色の文字だが、「全国哀悼の日」期間中
黒地に白い文字で被災者に哀悼を表する南京大学構内の横断幕
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