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禍転じて福となれ!
─四川大地震の体験を新たなスタートに

 

あわててカメラを持って外に飛び出した。アパートの前では、夫婦と子供たちの家族4人が、立ち木に数珠繋ぎにつかまって必死に揺れに耐えていた。カメラを構えたがこちらも立っていることができず、シャッターを押すことができないほど激しい揺れだった。支局に寄って簡単な打ち合わせをしたあと、周辺市町村の現場取材に出かけ、1カ月近く自宅のアパートに帰ることができなかった。

このときの地震の規模はマグニチュード7.5。死者49人、行方不明者3人、重軽傷者671人と、規模のわりには、犠牲者の数が少なかった。しかし、地震により本州と北海道を結ぶ海底通信ケーブルが切断され、放送用のマイクロウェーブ回線も青森で不通となり、テレビ放送や電話がだめになった。当時パソコン類はまだまったくなかった。原稿は電話を通じて読み上げる電話走稿で、写真は電話回線を使った電送だった。電話が使えなくなったため、原稿や写真が数日間送れなかった。東京本社から自社の飛行機で取材に来たカメラマンや記者に、それまで書いた原稿や撮影した未現像の写真を手渡して持って行ってもらった。

テレビ放送は現地の映像が入らず、新聞記事の原稿も断片的なものしか送れなかった。災害現地から正確な情報が伝わらず被災状況が分からないため、憶測やうわさなどで青森市内が全滅したかのように受け取られた。想像や思い込み、ウワサなどで被害状況が想定されてしまったからだ。

一時は、青森市と周辺都市は地震発生により壊滅状態になっているように思われ、青森市内にいる親戚に届けようと、東京から車で水や食料を運ぶ人まで現れた。救援物資もさまざまなものが送られてきたが、それを被災者に配る行政側の人手が足りず、救援物資が山積みになっているケースが多かった。当時、ボランティア活動をしようという人はほとんどいなかった。被災地に行って無料奉仕をして手助けをしようとする発想もなかった。

関東大震災で流言飛語が広まる

大地震の際に正確な情報が途絶え、流言飛語が広まった典型的なケースは、十勝沖地震から45年前に発生した関東大震災である。1923年9月1日、東京都、神奈川県など南関東地方にマグニチュード7.9の地震が発生した。死者・行方不明者14万2800人(最近の調査では10万5000人という説もある)、被災者340万人だった。

当時の報道メディアは新聞が中心である。ラジオ放送は2年後の1925年7月1日から本放送が開始されている。その新聞社も東京都内にあった16社のうち社屋の倒壊を免れたのは3社だけだった。残った3社でも活字がばらばらになり、通常の新聞ではなく緊急時に発行する簡単な「号外」を出すのがやっとだった。通信、交通手段もなくなり、記者の取材も思うようにいかなかった。正確な情報不足は流言飛語を生む元凶である。

 「全国哀悼の日」(5月19日~21日)に、カラーを一切取り止め
一面をモノクロ写真で哀悼の意を表す南京市内の地元各紙


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