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フォト・ストーリー  
古い北京の服飾――厳しい決まりごと

 

漢族の家庭

19世紀から始まった世界範囲での生産力の発展、技術の進歩と科学技術の製品の登場は、20世紀における中国の政治、経済分野の本格的な変革を誘発しただけではなく、同時に中国の民衆の生活様式に、全面的に深く影響を与えた。20世紀の百年間に、大都市としての北京は、自ずとさまざまな文化が織り成す中心になった。特にこの数十年来、衣食住や交通及び文化、娯楽などを含む北京の庶民の日常生活に生じた変化は、その広さにおいても深さにおいても、封建社会における1千年余りの変化の程度をはるかに超え、対応にいとまがなくなった。

服飾は人々が見慣れていて少しも珍しくないものだが、それはある程度、国あるいは地方の経済力、科学技術レベルと文化の傾向を表している。

1644年に清軍が北京に入城し中国支配を開始してから、清朝は全国できわめて厳しい髪の政策を実行し、満州族の服飾の風習は軍事と政治の力を借りて、中国の大地に非常な速さで普及していった。封建社会では、服飾は人々の身分や社会的ランクとしっかり結びついている。服装のデザイン、色、品質は必ず、これを着る者の身分の高低と貧富に見合っていなければならない。清の男子の服装は、袍(長衣。の上着。厚手の生地で丈の長い服)、褂(ひとえの中国服)、襖(の上着。厚手の生地で丈の短い服)、衫(夏の上着。木綿のひとえの服)、ズボンを主とする。皇室、官吏と庶民の長衣の区別は、主に裾(すそ)のスリットの数で表される。皇室は裾に四つのスリットを入れるが、官吏は二つで庶民はスリットを入れない。

袍(長衣)と馬褂(短い上着は清の男子が最もよく着る服飾の1つだ。満州族の若い女性が着る旗人服では、そのベストの前合わせは一の字式で、中年の女性は旗袍(チーパオ。チャイナドレス)を着る。漢族の女性の服装は一般的に、褂、スカートとマントを組み合わせる。読書人の家では、娘が13歳になると必ずスカートを着用しなければならない。ただズボンをはくだけで、スカートをはかないのは、一般的に侍女と田舎で働く女性だ。それ以外に、娼妓はスカートをはかず、ズボンだけをはくが、これは良家の婦人と妓楼の女性の服装での根本的な違いだ。

「北京週報日本語版」2008年1月21日

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