

2006年、田子坊は全国最優秀文化クリエイティブ産業パークに選ばれた
ここにある石庫門スタイルの民家は1920~30年代に出来たもので、会社の一般社員や中下層の有産階級によって建てられ、規模は小さいながら長い歴史を持つ。石庫門の建築スタイルと昔ながらの暮らしぶりが比較的完全な形で残されている。ますます多くの田子坊を訪れる観光客がこの隣接するオールド上海文化の「生きた博物館」に惹きつけられ、投資経営の意欲を持ち始めるようになった。呉梅森さんはこの機を逃さずに仲介役を引き受け、石庫門民家の一階と二階部分を一部屋ずつ借りていき、外観を改装して気のきいた工芸品店やクリエイティブスペース、カフェ・バー、レストランへと作り変えていった。田子坊も最初の210弄旧工場エリアから隣の石庫門エリアへと広がっていった。クリエイティブパークの総合プロデューサーとして、呉梅森さんは笑いながらこう言う。「石庫門の民家エリアのテナント募集は、相手を選んでやってきた。それは、一つには石庫門文化の昔ながらの姿をより良く残すため、もう一つはこのパーク内の品位と格調を高めるためだ。このほか、こうした小さくても細やかな投資経営方式は女性に適しており、現在80%のお店を女性が経営している」。
石庫門エリアを急速に開発したと同時に、210弄旧工場エリアも上海唯一の全国最優秀クリエイティブ産業パークに選ばれた。
もし、呉梅森さんの個人的な夢が田子坊を作り上げた偶然的要素だ言うのならば、改革開放の追い風と、上海市政府の旧市街改造と上海特有の文化保護の決意は泰康路成功の必然的な要因だ。狭い土地に人口が密集し、古い建物は壊れ果てていても、そこには奥行きのある豊かな文化が息づいている――こうした特徴により、泰康路の改造は矛盾に満ちたものになった。いったいどんな開発モデルを採用したらいいのか?上海市経済委員会の推進の下、上海社会科学院部門経済研究所の厲無畏所長は専門テーマを設定し、田子坊のメソッドとノウハウを研究し、そこからクリエイティブ産業パークに関する理論を導き出し、現在では大学で講義されるようになった。田子坊でのノウハウがけん引作用を果たし、上海には相前後して旧工場を改造したクリエイティブエリアが100余り誕生した。
現在の田子坊はすでにその名が遠くまで響き渡っている。今では占有面積約2万平方メートルにまで成長したクリエイティブエリアでは、自給自足の産業モデルが出来上がっている。今、旧工場エリアに入居している企業機関は137社、民家住宅エリアにオフィスを構える企業機関は188社ある。今年3月1日、田子坊は上海市からアート革新とレジャー・観光機能が一体化した三A級観光地の指定を受けた。統計によると、田子坊には毎日平均5000~6000人が訪れる。一日に66台もの大型バスが観光客をひっきりなしに路地の入口まで運び続けていたこともあった。
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