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◇金婚の旅・㊥◇
~貧しくひもじかったが楽しい学校生活~
元南京大学日語科教師・斎藤文男  ·   2020-11-05  ·  ソース:北京週報
タグ: 南京大学;学校;中日交流
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◇クラス全体が家族のような雰囲気◇

クラス仲間は、入学して1、2か月も過ぎたらすぐに仲良くなり、2、3年生になると、昼休みには男女であやとり、お手玉、おはじきなどで遊ぶようになった。クラス全体が家族のような雰囲気で、いじめやけんかもほとんどなかった。ちょっとしたもめごとはあったが、どちらかが「さっきはごめんね」と言えば、それでほとんど事なきを得た。

勉強は苦手だったが、毎日をとても楽しく過ごした。しかし、食糧不足による空腹感は今でも忘れることができない。3年生のころから週に数回、ミルクとコッペパンの給食が出た。そのミルクは牛乳から脂肪分を取り除いて粉末にしたのをお湯で溶いたもの。脂肪分がなく味もはっきりしないただの白いお湯のようで、とてもまずかった。

給食のない日は弁当持参なのだが、麦飯とサツマイモに白米がほんの少し入っていた。その割合は5:4:1と、麦とサツマイモがほとんど。しかし、弁当がある時はなんとか空腹感も抑えられた。蒸かしたサツマイモ一個だけだったり、サツマイモさえない時もあった。そんな時は、一人校庭に出てサッカーボールを蹴って遊び、昼休みをやり過ごし空腹をまぎらせた。

3年生からは担任の先生が関先生から森田達夫先生に代わった。森田先生は当時23歳のハンサムな青年で、女子児童の多くから好かれていた。それから4年間、6年生まで担任は代わらずクラス替えもなく、分教場の教室のように和気藹々(わきあいあい)として、毎日学校に行くことが楽しかった。4年生になると毎日、給食が出る完全給食になったのは欠食児童にとって有難かったが、脱脂粉乳のまずさは変わらなかった。それでも、余ったミルクをお代わりする人も多かった。

◇5年生から毎朝、新聞配達を始める◇

5年生からは2学年上の兄と一緒に、自宅で購読していた毎日新聞の配達を始めた。朝3半頃までに、家から徒歩10分ほどの所にある販売店まで行く。配達する部数全部に広告を挟んだ後、毎日新聞社が発行している週刊誌「サンデー毎日」や英字新聞を、配達順番ごとに入れて準備をした。それを肩ヒモにかけて、販売店から小走りで15分ほどしてから、最初の配達する家に着いた。

配達には1時間余りかかった。当時の新聞休刊日は、元日と春分、秋分の日、それにこどもの日(5月5日)の4日間。それ以外の1年361日間、中学2年生になるまで4年間、毎日続けた。配達の給与は自分たちの小遣いではなく、兄と2人分をすべて親に渡し、家計の足しになった。クラス仲間にも数人が、新聞配達をしていたので辛いとは思わなかったが、雨の日は体が濡れても、新聞を濡らさないようにするのが大変だった。

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