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◇南京の教え子から吉報続々◇
~出産、育児に奮闘中の年賀メール届く~
斎藤文男(元・南京大学日本語学部専家)  ·   2016-01-15
タグ: 子供;母親;社会
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~頑張って親として成長していきたい~

HSさんから元日に届いた年賀状には、赤ちゃんの寝顔と笑顔の写真があった。翌日の年賀メールでは≪赤ちゃんに泣かれて戸惑う時もありますが、頑張って親として成長していきたいと思います。≫と書かれていた。年賀状を受け取って私は、若い両親に励ましのメールを送った。

 

親とともに成長するHSさんの小宝宝

≪赤ちゃんが泣くのは、お腹がすいたとか、おむつが濡れたとか、眠いなど大体決まっています。公共の場で泣かれた場合は、そっと抱き締めてやれば、母親の肌の温もりと心臓の音で安心して泣き止むこともあります。≫とアドバイスした。

私の育児奮戦時代は、青森県の三沢通信部勤務の時だった。長女が1歳2カ月で、長男が生まれた。妻が出産のため入院している間、娘と2人きりになった。通信部は1人勤務なので、昼間は娘の世話をベビーシッターにお願いした。夕方5時からは原稿を書いたり、娘の食事を用意したり“にわかやもめ”暮らしになった。当時は米国のベトナム戦争が激しい時期で、米空軍・三沢基地からファントム戦闘機が連日飛び出して行った。

ある日、午後10時ごろ、管内で殺人事件があった。寝ていた娘を起こして背負い、バイクで警察署に行った。娘を署長に預けて事件現場に行き、取材をして警察に戻った。娘は当直の警察官と遊んでいたが、私が戻ったころには、署長に抱かれてすやすや寝入っていた。署長にはお礼を言って、通信部に戻り、原稿や写真を送稿すると翌日の午前2時を過ぎていた。その後は、妻とともに双子のような姉弟の育児と記者の仕事で、てんやわんやの生活が3年間ほど続いた。

HSさんからは昨年5月、母親になることを知らせてくれた返信として、≪こんな体験も今から思うと、とても楽しく貴重な体験だった。≫と返信メールを送った。メールを送った日はHSさんの29歳の誕生日で、≪人生の節目の一つを迎えようとしている中なので、感動が大きく格別の感じがしました。母親になる覚悟と期待がさらに膨らんだ気がしました≫とのメールが返ってきた。HSさんは南京大学卒業後、北京大学大学院で修士号、北海道大学大学院で博士号を取得して、南京に戻り大学の副教授になった。赤ちゃんの誕生日は私と1日違いで何か縁のようなものを感じている。

かつての教え子から10数年後、母親となった連絡をもらえるとは、当時まったく考えていなかった。教師という職業が新聞記者と同様、遣り甲斐のあるものだということを3人の報告から知らされた。中国には「名師出高徒」(優れた師匠からは立派な弟子が出る)という成語がある。私は4年制の大学を6年間かかってやっと卒業した。必ずしも「名師」ではなくとも「高徒」が輩出することも3人は証明してくれた。(写真はいずれも母親になった教え子から提供)

「北京週報日本語版」2016年1月15日

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