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「ウサギの島」として有名な大久野島はかつて「毒ガス島」だった
  ·   2019-08-15  ·  ソース:人民網
タグ: 戦争;歴史;社会
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大久野島で毒ガス製造に関する歴史を説明する山内さん(左から2番目、撮影・劉軍国)。
 広島県竹原市に属する大久野島は、瀬戸内海に浮かぶ周囲約4キロの小さな島だ。1929—45年、日本の陸軍はこの島で、マスタードガスやルイサイトなどの致死性毒ガスを製造していた。そして、ここで作られた大量の毒ガスが、中国侵略戦争期間中に中国へ運ばれ、中国の国民に大きな被害をもたらした。広島の民間団体「毒ガス島歴史研究所」の事務局長を務める元教師の山内正之さん(74)の案内の下、竹原市の忠海港からフェリーに乗り、秘密の島として日本政府がかつて地図から消した大久野島に渡った。人民日報が報じた。
大久野島毒ガス資料館(撮影・劉軍国)。

「日本はこの歴史を特に知るべき」 

8時30分に、忠海港を出発。フェリーで、山内さんは、「前事不忘、後事之師(過去の経験を忘れないで将来の戒めとする)」という漢字8文字が書かれた名刺をくれた。そして、「あそこにはっきりと見える小さな島が大久野島だ。第二次世界大戦中、大久野島のほか、さっきフェリ-に乗った港にも毒ガス貯蔵施設があった」と説明してくれた。

15分後、大久野島の港に到着。初めに目に飛び込んできたのは、かわいいウサギだった。大久野島は、ウサギがいることで人気の観光スポットになっており、山内さんはそれは決して悪いことではないと感じている。大久野島に来る多くの人が、ウサギを見るほか、かつて「毒ガス島」だったこの島の暗黒の歴史についても知ることになるからだ。統計によると、毎年約40万人が大久野島を訪れ、そのうち約6万人が大久野島毒ガス資料館を見学している。

「日本は特にこの歴史を知る必要がある。歴史を教訓とし、悲劇を2度と繰り返してはならない」と山内さんは語る。

日本政府は当時、大久野島で毒ガスを製造している事実を隠そうと躍起になっていた。1932年、旧日本軍は大久野島を地図から消すことさえした。地図に大久野島が復活したのは1947年以降のことだ。第二次世界大戦後、日本政府は、毒ガス島に対し無毒化処理を施した。現在、島の様子は戦争当時とは全く違うものの、依然として、毒ガス貯蔵施設などの戦争遺跡が多く残っている。

「これはこの島で一番大きな毒剤貯蔵庫。百トン規模の大型毒剤缶6個を貯蔵することができた。私の後ろに見える焦げて黒くなっているところは、当時、火炎放射器で炎が投射された跡だ」。どの戦争遺跡でも、山内さんは毒ガス弾の製造、貯蔵、運送、後処理の歴史を説明してくれた。

1963年、日本政府は、大久野島に国民休暇村を開設した。そして1988年には、有志団体「大久野島毒ガス被害者対策連絡協議会」が各方面から資金を調達して、大久野島の港近くに大久野島毒ガス資料館を建設した。日本政府は暗い歴史を隠すために国民休暇村を作ったが、私たちは一人でも多くの人に歴史の真実を知ってもらうために、毒ガス資料館を建設した」と山内さん。この資料館には、当時、日本政府が毒ガスを製造し、使用し、戦後に毒ガスを処理したことに関する詳しい資料が展示されている。

この日、山内さんは大久野島の港近くで、日本の若者約200人を前に毒ガス島の歴史を説明し、さらに明治学院大学の教師や学生と共に大久野島を一周して案内した。「すでに70年以上が過ぎたが、日本人は中国を侵略した戦争の歴史を知る必要がある。その理由は、今でも有毒ガス弾が地下に埋まっており、人に害を及ぼす可能性があるから。また、日本政府はその歴史を正式に認めてはおらず、被害者への謝罪や賠償もしていないからだ。日本政府が1日も早く歴史の事実を認め、謝罪と賠償をすることを願っている。そうしなければ、日本政府が信頼され、尊重されることはない」。山内さんは明治学院大学の教師や学生にこのように説明していた。

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