中国を肌で感じることの大切さ
第二に、たとえどんな職業や立場の方であろうと、この10万余りの在中邦人の方々の中国理解は傾聴に値するということだ。
今この瞬間に中国で暮らし、働いている人の多くは、コロナ禍でも帰国しなかった方々である。上海在住20年以上、中国のゴルフ業界に携わる筆者の知人はコロナ発生当時、「この国に育ててもらった僕が、従業員たちを残して自分だけ帰れると思いますか」と言っていたが、そういう中国愛のメンタリティーを持つ在中邦人は決して少なくないだろう。ただ、中国に暮らしていて、この国のことを好きになる人がいる一方、どうしても自分に合わないと言う人だって当然いる。人間いろいろ、個性もさまざまであるから特に不思議なことではないが、筆者がここで強調したいのは、彼らの思いは中国で暮らし、この国を肌で感じた上でのものということだ。

日本のネットニュースやSNSを見ていると、「この人はおそらく中国に行ったこともなければ、ちゃんと調べたこともないのだろうな」と思うコメントを大量に見かける。それは端的に言って思い込みであり、下手すれば妄想であったりする。「知之為知之、不知為不知。是知也」(之を知るを之を知ると為し、知らざるを知らざると為す、之知る也)と論語の言葉にもあるように、知らないことを分かった気になるのは愚の骨頂である。それに比べて在中邦人の中国観とは、経験をベースとしている以上、しっかりと地に足が着いている。むろん中には中国で暮らしていながら何を見ているんだと思うような意見を言う方にも遭遇するが、中国について知り、語ろうとするならば、まず中国を肌で感じるべしと筆者は多くの同胞に強く伝えたい。
最後にこれは全くの私見だが、中国は地方によってさまざまな文化があり、人々の気質も違えば生活環境も異なるのだが、在中邦人も住んでいる場所ごとに、その土地の影響を受けるように感じられる。中国随一の大都会である上海に暮らす日本人はやはりキラキラとした印象を覚えるし、温暖で産物豊かな華南の在中邦人は心の豊かな方が多く、首都・北京の日本人は堅実でしっかりした人を多々見かけるように思うのだ。しかも、そのような現象は現地の人々と盛んに交流を持っている方ほど顕著であるように感じられる。
では筆者はどうかと言えば、まだまだ北京市民と名乗るには程遠く、物事を日本基準で考えがちであると痛感している。要は、在中邦人としては駆け出しもいいところ。現地の人と見分けがつかなくなるくらいこの国になじむことができた時、自分の中国理解はきっと今より深いものとなっているだろう。それがいつになるかは、自分にも分からないがーー。
「北京週報日本語版」2022年8月30日