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三星堆遺跡がなぜ再び脚光を浴びているのか
王学斌  ·   2021-03-31  ·  ソース:北京週報
タグ: 三星堆;中華文明;文化
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三星堆遺跡の考古発掘現場から出土した、欠けた黄金の仮面(写真=新華社提供)

近頃、三星堆遺跡がまたもや注目を集めている。この度の考古発掘調査では、新たに発見された6つの祭祀坑から欠けた黄金の仮面や青銅神樹、象牙など貴重な文化財500点余りが出土した。中でも黄金の仮面はサイズが非常に大きく、すぐさまネット上で熱い議論が起こった。三星堆遺跡に関する議論が絶えないのは、この遺跡が持つ独特の魅力と奥深さの表れで、そのことが強めているのは文化への自信だ。文化への強い自信を持つ民族の文明は例外なく長く続き、重厚で、包摂的なものであり、自身の主体性も必ず鮮明で、強く、しっかりしており、三星堆遺跡はまさしく中華文明のこのような特質を証明している。

三星堆遺跡は中華文明の歴史の厚みに立脚している。綿々と続く中華文明は歴史という肥沃な大地に育まれた大樹のようなものであり、大いに栄え、数々の成果を生み出し、枝葉からその根源までさかのぼることができる。三星堆遺跡は古蜀文明の起源と不可分で、時代順におよそ新石器時代末期、夏代から商代前期、商代中期もしくは後期、商代末期から西周初期の4つに区分される。そのうち最も古い宝墩文化は今から約4800~4000年前のもので、悠久の歴史を持ち、その蓄積もまた重厚であると言える。

三星堆遺跡は中華文明の文明水準の高さを表しており、遺跡の文明的特徴は極めて顕著だ。陶器の面で見ると、三星堆初期と二里頭初期の陶盉(古代中国の酒器)は陶器の質や大きさ以外にほとんど違いがない。三星堆の「将軍盔」と呼ばれる青銅器を鋳造するための土器は、河南省安陽市の殷墟から出土した同類のものと非常に似ている。また、青銅器の面で見ると、三星堆の銅尊や銅罍は商代の青銅製の祭器の影響を明らかに受けており、当時中原文化と交流し、融合していく中で、古蜀文明は大きな発展を遂げたことが分かる。

三星堆遺跡の考古発掘現場で特製の昇降設備を使って作業をする考古学研究スタッフ(写真=新華社提供)

三星堆文明は中華文明の交流の広さを表している。三星堆遺跡は東洋と西洋文明の数多くの共通した特質を備えており、これは古代中華文明と他文明との交流が生んだ光り輝く結晶だ。すでに発掘されている金杖(金箔が施された木製の杖)、青銅像、海貝などの文化財によって、われわれは当時早くも古蜀国がインドや中央アジア、さらにはメソポタミアの文明と接触を持っていたとおおよそ判断できる。このような開放性と包摂性は、三星堆文明に世界へ向かっていく力強いサポートをもたらした。

80年以上の間、数世代に渡る中国の考古学者が探究し続け、ついに三星堆遺跡は絢爛たる文明の輝きを放った。われわれはこの度の考古学的発見ですら、豊かで輝かしい中華文明の遺跡のほんの一部分であり、今後の発掘研究の見通しはより期待できるものと確信する。

(王学斌 中央党校<国家行政学院>文史教研部教授)

「北京週報日本語版」2021年3月31日

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