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北京週報>>中国と日本  
中国の女性教師、30歳過ぎて訪日留学 16年後に大学教授に

 

 

張洛霞(左)

 中国洛陽市の「中学」(中高一貫校)で教師をしていた張洛霞さんは、30歳を過ぎて日本に留学し、16年後には日本の大学で教授を務めるまでになった。河南省のニュースサイト「大河網」が伝えた。

 「名門大学の夢」を人に笑われた頃から始まり、家族を支え、河南省の学生が日本に留学するのを助ける今に至るまで、この洛陽の女性はどんな時でも自立を信じ、夢を諦めないで生きてきた。

 張さんは師範専門学校を卒業した後、中学で教師をしていた。勉強家の彼女は仕事の合間を縫って、当時はあまり人気のない日本語を習うことにした。当時、日本語を勉強するのはとても困難な環境だった。そこで張さんは龍門石窟の観光地に出向き、日本人を見かけては話しかけた。このような方法で、張さんは日本人の友達を何人もつくり、連絡を取り合うことで、日本語の水準を少しづつ高めていった。

 張さんは1986年、自費留学が可能になったことを知り、かつての「名門大学の夢」が再び心の中に湧き上がってきた。「日本に行って留学しよう」。張さんは1万2千元(約15万3960円)を持って、日本に行った。張さんは、1993年4月に語学と「大学院」進学コースを学び終わり、無事に南山大学経営学大学院(中国の研究生にあたる)に受かり、日本国内で最高水準の奨学金「日本文部省奨学金」の取得にも成功した。

 1985年に大学院を卒業した張さんは引き続き博士を取得するため進学する。1995年9月に張さんは第2子を出産し、子供に「文博」と名づける。周囲の人から、子供にこの名前をつけたのは、将来文学博士になってほしいからかと聞かれると、張さんはいつも笑顔で「『文』は文部省奨学金の『文』で、『博』は合格した博士の『博』。この二つの条件のうち一つでも欠けていたら、自分は仕事をせざるおえなくなり、しばらく子供を生むことはできなかったから」と答える。1999年4月、卒業してちょうど1カ月後に張さんは見事、至学館大学の常勤講師となった。

 大学教員となった後、張さんは故郷のためにどのようなことができるか考え始めた。1999年から今まで、張さんは毎年冬休みと夏休みに日本の学生を連れて中国訪問をしてきた。6年間の努力が実り、ついに彼女の所属する至学館大学と洛陽の河南科技大学との間に友好関係が結ばれ、教員間の交流が深まった。現在、両大学は互いに毎年2人の学生を交換留学生として派遣している。

 「キャリアは普通だが、どんなときも夢をあきらめなかった」と張さん。中学の教師をしている頃は、多くの人に『出国の夢』をばかにされたが、「今はさらに多くの同郷人が海外に出て、自分の夢を実現させる手助けをしたい」という。(編集MZ)

 「人民網日本語版」2012年11月8日

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