旧材を使い二王廟再建
2000年、世界文化遺産に登録された都江堰を望む山ろくにそびえる二王廟も震災で破壊され、国家的な事業として修復された伝統的な建築物のひとつだ。古代の灌漑施設・都江堰の建設を指揮した李冰と、その死後、大事業を引き継いで完成させた李二郎の親子を祭った荘厳な建築物群で、南北朝時代に建てられた。
綿竹の年画村で、最年長の職人を取り囲んで取材する取材団(写真・王衆一)
3年前の救援のシーンを年画で表現する新たな試みも(写真・王衆一)
うっそうとした木立の中に、巨大な堂宇がどっしり構えている。崩壊直後のパネルを見て初めて、完膚なきまでに破壊された様子を知ることができる。復元後はとても、震災に遭ったとは思えないたたずまいだ。しかし、実は地震で建築物の大多数が全半壊した。今では、対岸の都江堰から見える建築物も震災後は森の中に埋もれてしまい、地元の人々を嘆かせたそうだ。
世界遺産の崩壊は、長年この廟を誇りにしてきた四川人を悲しませただけでなく、国際的に惜しまれ、自然災害の残酷さに対する人々の怒りと同情を集めた。内外の反響を重視した中国政府はいち早く復元を決意し、文物の「救済保護第1号プロジェクト」に指定し、国家事業として復元に取り組んだ。地震から3カ月後の2008年6月から、がれきの整理に着手した。総投資額一億元余で完全復元を目標に、70%以上の部分は旧材を使い、耐震構造に配慮し、今年4月下旬、公開にこぎつけた。
成都から震災後初めて、家族連れで弔いに来ていた劉長征さん(64)は「昔のままです。本当に心から安心しました。私も震災で父親を亡くしましたが、ここへ来て、元気が出ました」と、語っていた。
二王廟がある山ろくを下り、有名なつり橋を渡ると都江堰に出る。岷江の流れを左岸一帯へと分水して、現在でも5300平方キロの農地の灌漑に活用されているそうだ。2300年後の今でも十分に機能している水利施設に驚かされる。地震で都江堰の先端の「魚嘴」部分にひび割れが入ったが、機能には大きな影響はなかったようだ。
「人民中国」2011年6月
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