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チベットの一般市民が感じた60年間の変化

 

 

5月23日はチベット平和解放60周年の記念日だ。この60年で、チベットは閉鎖的で貧困な地域から、開放的で裕福な地に変貌し、普通の人々の暮らしも大きく変わった。

77歳のイシラツイさんは、大昭寺の近くに住んでいる。チベット風の2階建ての家を持っているが、全国各地からの観光客のための民宿にしている。

イシラツイさんは「解放前、私は八角街で奴隷だった。働くところが寝場所で、自分のものはレンガ一つ瓦一枚なかった。何も食べるものがなく、普通の人が食べるハダカムギの団子を食べるのもまれで、バターを巻いた牛の皮で食いつないだ。それが、今は、街はもちろん、農村でも米を自由に食べるようになっている」と、解放前後の変化を紹介した。

旧チベットの農奴制度では、農奴の家庭では子どもを育てるゆとりが無いため、農奴の家は代々農奴でいるしかなかった。

1951年、チベットが解放され、イシラツイさんは、国が設置したチベット民族幹部養成学校に入り、初めて系統的な教育を受けた。卒業後、ラサ史上初の交通警察官になった。今は定年退職したイシラツイさんですが、「今の家は以前の貴族の家よりも良い。それに、年金を毎月3650元もらっている」と、満足げに話している。

81歳のトジツタンさんも、チベットの変化を肌で感じている一人だ。実はトジツタンさんは1959年にチベットを離れたことがある。その年、チベット動乱が起き、少数の上層反動勢力に扇動されて、周りの多くの人とともに海外への亡命に巻き込まれた。インドに40年も滞在して、1999年にラサに帰った。

逃げた当時のことについてトジツタンさんは、「社会が急に乱れだした。漢民族が人を食うという風説も立ち、多くの人が逃げ始めていた。私も一緒に逃げたが、向うに着いたら、貴族たちがもう人を出していて、生活の準備をしていた。我々のような普通の人間には何もなかった。蒸し暑いし、食べ物も言葉も異なる。暮らしは苦しく、国際社会の援助に頼るしかなかった」と述べた。

故郷への思いから、海外に逃亡した多くの人は、地元でラジオ、雑誌などを通じて、チベットに関する情報を少しずつ収集し始めるようになった。1985年、トジツタンさんは帰省の許可を得て、チベットに一時、帰った。数十年ぶりのチベットについて、トジツタンさんは「びっくりした。みんな自分の家や仕事を持っている。子どもたちも学校で教育を受けている。仕事から帰ったら、お酒も飲める。自由自在な暮らしを送っている。最初は信じられなかった」と振り返った。

1980年代以来、2000人あまりのチベット族の人々が帰国した。政府は、住宅や土地、家畜などを援助し、一部の人は全国人民代表大会の代表と全国政治協商会議の代表にも選ばれた。

今、トジツタンさんは毎日お寺めぐりを楽しんでいる。子どもたちは、小昭寺の付近で店を経営しており、孫は小学生だ。トジツタンさんは「青海チベット鉄道が開通したとき、政府に招待されて、一番列車で青海に行って来た。祝日も政府の責任者がお見舞いに来る。生きて帰国して、よかったと思う」と、感無量だ。

「中国国際放送局 日本語部」20115月23日

 

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