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林 国本
今年は中国が改革・開放に転じて30周年という節目の年である。学界ではいろいろな構想が語られていつ。だが、今回の四川大地震でこの一カ月はこういう構想の討議は小休止し、まずは震災対策が中心課題となっているような気がする。しかし、これはロスとは言えない。なぜから、この7万人近くの命が一瞬の中に失われたことは、和諧社会の構築を願う人たちにとって多くのことを示するものであり、構想そのものをより着実に練り上げることを促すことになっている。
さいきんは、よく中国の外貨準備高は世界一だ、と胸を張って語る人の姿を見かける。しかし、私はまだ胸を張れる段階ではない、と思う。中国の国土面積は日本の24倍、人口は10倍、その計算でいけば、中部、西部のまだ遅れた地域は別として、少なくとも日本の外貨準備高の3倍ぐらいになって、やっとすこしはやれやれ、と言える段階にはなろう。それでも胸を張れるまでには至っていない。
今回の大地震で過疎地帯の道路、通信、電力等のインフラ整備の立ち遅れがテレビで衆人環視のもとにされされた。中国はまだ発展途上国である現実を忘れてはならない。
私見ではあるが、中国は自主開発力の面でもまだかなり遅れている。聞くところによると、ケータイひとつを取り上げても、コア技術はすべて外国に押えられている。一般のユーザーは高い特許料を払わせられているのである。したがって、次の30年は自主ブランドの創出、「自主開発力の育成に力を入れなければならない。上海や北京では若者たちがルイビトンやエルメスのブランド品を使い、高級フランス料理店で食事をしている姿を時々見かけるが、国全体としては、まだまだ、そのようなレベルにに達していない。したがって、これからの30年もやはり額に汗して頑張りつづけなければならないのである。
次は、いくらか豊かになったとはいえ、食糧戦略をおろそかにしてはならない。
考えて見ても分かるように、今回の地震で、空から食糧をパラシュートで被災地にどんどん投下できたとも、中国のトップがかつて胸を張って語ったように、食糧の備蓄がたっぷりあるからだ。かなりの農地を別荘地、ゴルフ場にしてしまえば、一時的には地方の幹部のフトクロにも豊かになるであろう。しかし、それは大きな間違いである。世界の一部の地域では、食糧価格の急騰で社会不安が発生している。中国の数千年の歴史をふり返って見ても、飢饉が原因で王朝の統治がぐらついた実例がある。中国のような大国が世界に向けて食糧の援助を願い出るならば、どうなるか。レスター・ブラウンという学者の懸念していることが現実となってしまうではないか。アメリカのように火星探査機を打ち上げる力を持ち、空母を世界のあちこちに派遣している科学技術の大国でも、近代的な大規模経営の農業、畜産業をちゃんと持っている。しかも、その生産性は中国よりはるかに高い。
さらには第3次産業の発展によって雇用の創出に力を入れることもおろそかにしてはならない。産業のグレードアップで、人間のスキルアップも不可欠となっている。私たちがかつては楽々と生活してきた、日本語をスキルとする分野も、かつてのスキルだけではダメだ。要するに、世の中そのものが大きく変わり、ニーズも変わっているのである。中途半端な日本語で一生暮らしていけると思ったら大間違いだ。これはその他の産業についても同じだ。さらに、省エネ技術の大発展ということも、将来的には大きな課題となろう。やがって中国は中程度の発展レベルの先進国になることは間違いない。しかし、そうなると国際的義務もそれ相応に増えてくるのは当然である。
そういう意味で、20年このかたの成功体験にしがみついて、次の20年を歩いていては低成長以外にないと思う。発想を転換し、大胆に模索を続けることは避けて通れない。さもなければ、ゲームの中で「イエスか、ノーか」ということを突きつけられることになろう。アヘン戦争後の百年は、「イエスかノーか」を突きつけられてきた百年といっても過言ではない。
「北京週報日本語版」2008年6月20日 |