| 林 国本
四川大地震は四川省北部及び陝西省南部、甘粛省南部に大被害をもたらした。震源地とみられる汶川一帯は、筆者がテレビの画面で見たところ、日本アルプスや乗鞍岳一帯の地形に似ており、それも日本のように高度成長を経て、山間部にかなりすばらしい道路ができておらず、震源地への道は寸断され、土砂崩れと落下した巨岩、巨石で復旧工事に数日を費やす結果となった。
日本のメディアに目を通すとこの辺の事情がよく分かるが、日本のメディアがひとつ見落としているのは、これは発展途上国で発生した大震災であるということだ。しかし、けっして高度成長の中で育った日本の記者たちを非難するつもりはない。視点、視角というものは、往々にしてその人の出身、生活環境とも関連がある。筆者は中国においても、北京のような近代化した都市から仕事などで地方へ行った時には、その落差を感じることがあるくらいである。これは時が解決する開発の課題である。特派員として東京に長期滞在していた時には、筆者の人生の拠点である北京と東京との落差を感じていた。筆者は二、三十年後には、こうした落差もちじまっていくにちがいないので、あせることはない、と思っていた。
さて、大震災のあとの復旧についてのグランド・デザインを描く組織がさいきん立ち上げられた。国務院の指導のもと、国家発展・改革委などが中心となって3ヵ月を費やして青写真を画き上げることになった。そして、経済的にまだ発展が遅れている西地域を除く、各省、直轄市、自治区が一対一という形で被災した県の復旧に協力することになった。大体、三年間を費やして実施することになった。地元の人たちも、外部からの援助を待っているだけでなく、すでに生産活動に入っているところもある
四川省はもともと「天府の国」といわれて、成都平原一帯は物産の豊かなところである。四川省南部、東部は直接被害をこうむっていない。国家発展委という開発のプロたちが大勢集まっているところ、そして長江三峡ダム、青海チベット鉄道、長江の大鉄橋、河床の下を縦断する道路をつくるビッグプロジェクトの実施を力をもつ中国の技術者、熟練工たちの大集団がすでに存在している今日、これはそれほど、難しいことではない。政府のトップたちはさいきん、中国全体の建設事業と復旧工事を同時に進めることを呼びかけている。
私見ではあるが、あまり奥深い山間部に住んでいる人たちは、豊かな平原地帯に移させてはとも考えている。しかし、なが年暮らしてきた土地を離れることはつらいことであろう。さらには少数民族の人たちは政策上、彼らの生活習慣を尊重しなければならない。軽々しく他の地への移住などを口にすることは、中国の発展を喜ばぬ少数の人たちに口実を与えるだけである。これはあくまでも民族政策に従うべきである。
再建に際しては、活断層や土砂崩れ多発地帯から遠く離れたところを主体とし、発展途上国としてできるかぎりの耐震構造の建物、民家の建設に力を入れるべきだ。日本のメディアの報道を見ると、日本でも、学校の建物の耐震構造のレベルアップを考え始めている。ちなみに今回の四川大地震で、小学校の校舎を寄贈したある民営企業家は、業者に儲けの部分を別に渡し、鋼材、セメントの質を確保するよう申し入れたため、その学校は無傷で、生徒も全員無事であったことを耳にして、男泣きに泣いたというエピソードがメディアで紹介されている。
とにかく、この悲しむべき教訓を生かして新たなスタートを切るべきである。
「 北京週報日本語版」2008年6月10日 |