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北京週報>>特集>>南京大虐殺70周年>>南京大虐殺の史料  
歴史を鑑(かがみ)とし未来に目を向ける

1982年、日本文部省は中国に対する日本の「侵略」を「進出」と改ざんした。この教科書改ざん事件は、南京市民の大きな憤りを引き起こした。犠牲者を記念し、歴史を銘記し、後継者を教育するため、人々は「侵華日軍南京大虐殺遭難同胞記念館」(南京大虐殺受難同胞記念館)を設立するよう強く求めた。1983年9月、中国共産党南京市委員会、市政府は民衆の念願にしたがって、記念館、記念碑設置の計画を立てた。中国共産党江蘇省委員会、省政府の許可を得て、同年12月13日に、記念館の定礎式を行なった。

1985年8月15日、同館は南京江東門の集団虐殺と集団埋葬の現場、「万人坑」の遺跡の上に完成し、鄧小平氏が館名を揮毫した。また同時に、南京の集団虐殺の遺跡と集団埋葬をした場所、合わせて17カ所――挹江門、中山埠頭、炭坑港、魚雷営、草靴峡、燕子磯、漢中門、上新川、清涼山、北極閣、五台山、中山陵西窪子、普徳寺、正覚寺、金陵大学、花神廟などに、相次いで受難同胞記念碑を建てた。

「南京大虐殺受難同胞記念館」の設立以来、南京大虐殺史にかかわる研究は著しい進展をとげ、多大の成果を上げた。1995年に南京大虐殺史研究会が発足。2001年5月、日本教科書研究分会を設け、03年9月、南京国際平和研究所も設立された。これらの機関の設立は、南京大虐殺史研究のための堅固な保障と基礎を固めた。これによって、学術的価値ある著書、電子書籍などが次々と登場した。

近年、中国侵略日本軍の南京大虐殺と関係のある貴重な文物、資料が続々と発見された。1998年4月、南京大虐殺受難同胞記念館の地下でたくさんの被害者の白骨が発掘された。加害国の日本から持ち込まれたものには『日支事変――上海派遺軍司令部記念写真帖』や元中国侵略日本軍の兵士・東史郎氏の陣中日記、伊藤兼男氏の『写真集』などがあり、ドイツ人のジョン・ラーベ氏の日記、アメリカ人のジョン・マギー氏が使った撮影機と映画フィルム、ミニー・ヴォートリン氏の日記、ロバート・ウィルソン氏の日記などもある。これらの貴重な資料は、南京大虐殺史に新たな証拠を付け加えた。

南京大虐殺は南京人民に忘れられない痛手を残しただけでなく、人類文明をも残酷に踏みにじった。前のことを忘れず、後の戒めとし、歴史を鑑(かがみ)とし、未来に目を向けるべきだ。

「北京週報日本語版」 2007年12月

 

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