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南京大虐殺の史料  
南京安全区と国際的大救援

1937年11月中旬、日本軍が南京に迫ってきたとき、南京にとどまった外国人は南京市民の安全のため、上海難民区の前例に従い、爆撃などの緊急時に難民たちに避難場所を提供する「南京安全区国際委員会」という国際救済機関を設立することになった。委員会はドイツのシーメンス社の支配人ジョン・ラーベ氏を議長、金陵大学のスミス教授を秘書、杭立武氏を総幹事、アメリカ人のフィッチ氏を副総幹事に推薦した。その後、杭立武氏が朝天宮の文物を護送するため南京を発ったので、金陵大学歴史学部のベーツ教授が総幹事の仕事を引き継いだ。国際委員会のほか、密接に協力してきた「国際赤十字会南京委員会」があり、アメリカ人の牧師ジョン・マギー氏を議長としていた。

安全区は難民区とも称し、アメリカ大使館、金陵大学などのミッションスクールを中心とし、周囲は中山路、漢中路、西康路、山西路を境界とし、面積は約3.86平方キロだった。安全区には交通部ビル、華僑招待所、金陵女子文理学院、最高裁判所、金陵大学など25カ所に難民収容所が設けられた。収容した難民の多くは南京市民と各地から逃げてきた難民で、中には武器を捨てた少数の元中国兵もいた。安全区には一番多い時で25万人の難民が収容、保護された。

1938年1月末、日本当局は安全区内の難民が自宅に帰るよう強制した。2月18日、安全区国際委員会はやむなく「南京国際救済委員会」と改称し、国際委員会と難民区は消失して最後の難民キャンプも1938年5月に閉鎖された。

「北京週報日本語版」 2007年12月

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