しかし、1979年1月1日に中米両国が正式に国交樹立した後間もなく、アメリカ政府はアメリカ国会の親台湾議員らの圧力のもとで、その年の4月に『台湾との関係法』を可決した。このアメリカ国内法の基本的主旨は3つの共同コミュニケと矛盾するものであり、これは「台湾問題」が今でもなお中米関係の大局を妨げる法律的根源となっている。
1972年から1989年にかけて、「台湾問題」は中米関係の中で周辺化されたものであった。しかし、1989年になってからは、台湾島内の政治の疎外化(正常な政治の民主化から台湾独立化へ疎外化している)およびアメリカを含む国際勢力の介入のため、「台湾問題」は改めて際立ってくることになった。台湾の政治が台湾独立化を目指すものになってから、両岸の政治的論争の性質は統治権の争い(つまりどの政党が中国を代表して管理する合法性が更にあるのかの争い)から、主権の争い(つまり台湾は中国の一部であるかどうかの争い)に切り換えられた。中国にとって、統治権の争いは討論することができるものであり、主権の争いは受け入れられないものである。台湾の独立化に伴って、両岸間の政治的対立の先鋭化を招き、その上冷戦の後にアメリカが台湾をサポートする度合いを強めたため、中米関係に対する「台湾問題」のインパクトは冷戦期をはるかに上回るものとなった。
2003年の下半期から、アメリカ政府は急進的な台湾独立がアメリカの戦略的利益にプラスとならないことを次第に認識し、急進的な台湾独立を警戒し、それを制約し始めたが、しかしながらアメリカの対台湾政策の内在する矛盾性と二重性はアメリカ政府の台湾独立を制約する能力に限界があることを決定している。2007年に台湾独立の原理派が実質的台湾独立を推進することにつれて、「台湾問題」の中米関係に対するインパクトは新しいレベルに達するかもしれない。
時期の画定とその特徴
1972年の中米緩和以来の歴史は大体2つの時期に分けることができ、つまり冷戦期と後冷戦期である。
冷戦期の中米関係の特色は戦略的基盤が強固で、ソ連による共通の脅威に直面し、双方の協力する願いは比較的に固いものであったが、協力の分野は比較的に狭く、主に安全分野に集中していた。前世紀80年代は中米の安全協力の『ゴールデン時代』であり、中国は一時期「NATOの16番目の准同盟国」と見なされた。
冷戦の後、中米関係の特色は起伏性が強まり、同時にその構造が正常に向かうことになった。具体的に言って、冷戦以後の中米関係の特色は次の7点があげられる。(1)第三者の要因が低下し、そして両国関係が協力か衝突かを決定する要因は主に両国関係の内部に生まれたものであった。(2)政治と経済がアンバランスで、政治関係は大きく揺れ動き、経済協力は持続的発展を保っている。(3)両国関係に対する政府の主導性が下がり、非政府要因の影響力が上昇した。(4)中米間の実力のギャップが縮小している。(5)両国の内部に両国関係の発展を制約する要因とそれをサポートする要因が同時に存在している。(6)中米関係の影響力が日増しに両国の範疇を超え、アジア・太平洋地域の国際情勢に影響を及ぼすカギとなる要因になっている。(7)2つの総合優勝型国の間の関係であり、両国の実力はかなりバランスが取れ、すべて同時にハードの実力とソフトの実力を備えるものとなっている。
要するに、今日の中米関係の範囲は冷戦期よりずっと大きなものとなっている。接触の範囲が大きいため、摩擦が生じるポイントも多くなり、しかし同時に両国関係の安定を保つ要因も多くなった。今の中米関係は複雑で、成熟した大国間の関係の一種であると言える。
アメリカの選挙のサイクルの中米関係に対する影響は冷戦の後にいくらか上昇することになったが、しかし中米関係はいつもそのサイクルの影響を最終的に乗り越え、正常な軌道に戻った。これはまた逆の面から中米関係の強靭性と成熟度を裏付けるものとなった。クリントン氏であろうとそれとも現任大統領のブッシュ氏であろうと、冷戦後のアメリカ新政府の対中政策はいずれも「3部曲」風の発展・変化の過程をたどってきた。クリントン氏は1992年の総選挙の過程で、元大統領のブッシュ氏の政府の対中政策をしきりに非難し、政権を握った初期において人権問題を対中貿易と連動させたが、その結果はまったく行き詰まりとなってしまった。そこで、それを「エンゲージメント政策」に転換し、更に1998年の中国訪問の際に中国と21世紀に目を向けての「戦略的協力パートナーシップ」を確立することを打ち出した。2000年の総選挙で、現任大統領のブッシュ氏はクリントン氏の対中政策をはばかることなく非難し、中国がアメリカの「戦略的競争相手」であると言いつづけたが、しかし「9・11事件」以後には、現任大統領のブッシュ氏は中米関係の定義を「3Cs政策」、つまり「建設的で、協力し合う、率直で誠意のある政策」に転換し、積極的な方向へとむかい、以後2005年9月になると、当時の副国務長官のゼーリック氏は「ステークホールダー」という中国に対して使う用語を使い出し、中国に対するその位置付けはいっそう現実的なものになった。
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