北京は中華人民共和国の首都であり、中国の北部に位置し、南は華北平原と接し、東は渤海に臨み、北西は山西省および内蒙古高原と隣接し、西、北、東の三方が山に囲まれ、暖温帯半湿潤季候に属する地域で、四季の違いがはっきりしており、春と秋は短く、冬と夏は長い。北京の総面積は1万6800平方キロ、市街区の面積は1040平方キロ。現在、16の区、2つの県を管轄しており、人口は1143万。
北京には悠久な歴史がある。50~70万年前に人類の祖先「北京原人」がこの一帯で生活していた。長い歴史の流れの中で、北京はずっと中国北部の軍事的要衝であった。そして元(1271年~1368年)、明(1368年~1644年)、清(1644年~1911年)の三王朝の都になった。北京は中国の七大古都の一つで、数百年にわたって都であったため、北京では数多くの人文の遺跡と地方の風俗が目につき、壮大なスケールの長城、金色に輝くきらびやかな故宮の建物、雄大なスケールの明の十三陵、美しい頤和園、北海公園や周口店の北京原人遺跡、雍和宮などの名所旧跡および北京の路地(胡同、フートン)、京劇、グルメなど枚挙にいとまがない。北京はながい歴史のある都であるだけでなく、現代的国際大都市でもある。すでにワシントン、ニューヨーク、パリ、ベルリンなど20余りの都市との間で友好都市関係が結ばれており、国際往来も盛んである。北京には現代的建築物がずらりと建ち並び、大きなショッピングセンターがあちこちにあり、交通も便利で、通信施設も申し分なく、星クラスのホテルが600近くもあり、宿泊施設もよく整備されている。王府井、西単を主とする北京の商店街は世界の流行に遅れを見せず、中関村をベースとする科学技術産業は世界の前列にあり、さまざまな文芸公演も多く、対外文化交流も頻繁に行なわれ、市民の文化とモダンな芸術が同時に存在し、北京はモダンな都、科学技術の都、芸術の都になっている。
2008年の第29回五輪が北京で行なわれることになり、現在、五輪のための諸施設を着工中で、特有の「オリンピック景観」が形成され、伝統と現代を兼ねた北京に新しい色彩を添えている。「新しい北京、新しい五輪」といわれるように、五輪によって北京の観光業に新たなセールス・ポイントができたと言えよう。
故宮
故宮は紫禁城ともいい、北京市の中心部に位置し、北京のメイン・ストリート長安街に臨み、南は天安門に通じ、北は景山公園に臨み、東は著名な商店街王府井に近く、西は中南海と接している。故宮は明と清の二王朝の宮殿であり、明の永楽18年(1420年)に完成した。かつて24人の皇帝がここに住んだことがあり、現在は故宮博物館としてオープンされている。
故宮の宮殿建築物は、中国最大のもので、保存状態の最もよい古代建築物群である。宮殿の配置は南北方向の中軸線に沿って建築物が並ぶようになっており、左右のシンメトリーを形成し、構造にも工夫が凝らされている。紫禁城の南半分は、太和殿、中和殿、保和殿の三つの殿と文華殿、武英殿からなり、皇帝が政務をつかさどるところであった。北半分は乾清宮、交泰宮、坤寧宮の三つの宮および東西の六宮と御花園を中心に、外の東側には奉先殿、皇極殿、西側には養心殿、雨花閣、慈寧宮があり、皇帝と皇后、妃たちが住み、また日常の政務を処理するところでもあり、「後寝」と言われた。
太和殿は一般には金*殿と呼ばれ、紫禁城、ひいては全国で一番高く、一番大きな宮殿建築物であり、朝廷が重要な式典を行うところで、元旦、冬至、万寿(皇帝の誕生日)の三大祭りの式典、皇帝の即位、成婚、将軍の遠征、官吏登用試験にあたる殿試、その合格発表などの儀式がここで行なわれた。
中和殿は四角形の建築物で、皇帝が太和殿へ行く前にいろいろな準備を行なうところであり、皇帝が祭祀をする前、用具を点検するところでもあった。
保和殿は大晦日の夜貴族や大臣を呼んで招待の宴を行なうところであり、清朝の科挙試験の最高クラスの殿試が行なわれたところでもある。
乾清宮は後三宮の中で最大の宮殿で、順治皇帝の肉筆で書かれた「正大光明」の額がここにかかっており、清の康煕帝の前の皇帝が住んでいた宮殿でもある。
故宮には中国歴代の貴重な芸術品が陳列されており、中国の最も豊富な文化と芸術の宝庫である。故宮の建築物は全体として高貴優雅、荘厳かつきらびやかで、1987年12月にユネスコに『世界遺産リスト』に組み入れられた。
故宮の南側の午門あるいは北側の神武門から故宮に出入りすることができる。
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交通
地下鉄1号線あるいは1、2、4、10、20、120号バスの「天安門」バス停で下車し、天安門を通り抜けて北へ向えば午門につく。あるいは神武門から故宮に入る。101、103、109、111号バスの「景山前街」バス停で下車して神武門から入ることもできる。
天壇
北京市南東部の崇文区に位置し、明の永楽18年(1420年)に築造され、明・清二王朝の皇帝が天を祭り、五穀豊穣を祈ったところである。建築物全体は青色を基調にしており、「天」に築かれた殿堂を象徴している。全体の配置は「回」という字の形を呈し、内壇と外壇の二つの部分に分かれ、東、西、南、北にそれぞれ四大天門がある。天壇の主な建築物は内壇に集中しており、南から北への順で圜丘壇、皇穹宇、祈年殿、皇乾殿が並んでいる。
祈年殿は高さ32メートル、純金の屋根と三重のひさしをもつ円形の殿であり、周りは青い瑠璃瓦が葺かれ、空の青色を象徴している。祈年殿は28本の巨大なクスノキの柱で支えられ、これらの柱はいずれもそれなりの意味があり、真中の4本は「竜井柱」と言われ、1年の四季を象徴し、その周りの12本は1年の12月を象徴し、外側の12本は1日の12の時辰を象徴し、合わせて28本の柱は天上の28の星座を象徴するもの。殿内の地面の中央には円形の大理石が敷かれ、表面に竜と鳳凰の模様があり、堂々とした構えである。殿の前の東西両側にはそれぞれ配殿があり、背後には皇乾殿があり、前後左右が一体となり、厳かで雄大であり、力がみなぎっているようである。
圜丘壇は屋根のない3階建ての円形石壇で、周りは漢白玉の手すりと柵で囲まれている。皇穹宇はむかしは天の神様の位牌を置くところで、高さは19メートル余り、れんがづくりと木造のもので、構造は祈年殿とほぼ同じである。
皇穹宇の塀は、昔から人々を感嘆させてきた回音壁であり、円形の磨きレンガを積み上げた塀で、門は南向けに開けられ、二人が別々に塀の東西の両側に立って、互いに小声で話をすると向こうにもはっきりと聞こえる。これは音響学の原理を建築学上で巧みに応用したものである。話している人は不思議な感じであり、またおもしろみもある。
天壇は配置が厳密かつ精緻で、建築技術がずば抜けており、色彩がきれいで、中国の古代建築物の中でも抜群の存在である。
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交通
6、34、35、106号バスの「天壇北門」バス停で下車、120、122号バスの「天壇南門」バス停で下車、729号バスの「天壇西門」バス停、43号バスの「天壇東路南口」バス停で下車。
頤和園
北京の北西郊外の海淀区に位置し、1750年に造園が始まり、総面積は2.97平方キロ。頤和園は山水を抱えたすばらしい景観古典庭園であり、往時における政務処理、日常生活と遊びなど三つの区域に分かれている。
万寿山と昆明湖は頤和園の主な部分である。見所となるものが総面積の十分の九を占めており、万寿山前山、昆明湖、後山と後渓からなる。万寿山の前山を降りると眼前の景色が大きく変わり、ふもとあたりでは曲がりくねって流れる後渓が目に入り、非常に静かなところである。7万平方メートルほどもあるさまざまな宮殿、寺院と観光名所でもある建築物が山水の中に整然と散在している。前山の中部から仏香閣を中心に、だんだん上へと建て並ぶ建物は輝いているようで、気宇壮大な中軸建築物群を形成している。西側には五方閣と青銅207トンで鋳造した宝雲閣があり、周りには数多くの楼閣があり、その上に立って昆明湖の景色を眺めることができる。
昆明湖は頤和園の四分の三を占め、水上観光の主な部分である。水質もよく、水面が広く、鳳凰敦、石船、西堤六橋、17孔橋など数多くの見所がある。仏香閣はシンボルのような建物で、万寿山前山の中部の約20メートルの石造の土台の上に建てられており、建築物全体は木造である。閣の上に登れば、周りの景色が一望のもとに収まるようである。長廊は頤和園の中のいま一つの見どころで、全長は728メートル、273間ある。地盤が万寿山南麓の地形の高低に従って起伏し、長廊の梁の上に蘇州風の彩色画が1万4000枚余りもあり、画廊と称されている。頤和園は配置が精巧で、層の違いがはっきり見てとれ、中国北部の雄大さもあれば、中国南部の美しさもあり、世界の古典庭園の佳作と言われている。
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交通
331、332、375号バスで行ける。
北海公園
北京市の中心部、故宮の西側に位置し、1000年の歴史をもつ皇帝の庭園で、総面積は6.8平方キロ、水面の面積が半分以上を占めている。瓊華島は庭園の主体をなすもので、島の建築物と造景はまちまちで、北海の景勝と称されている。東側は仏教の建築物を主とし、永安寺、正殿堂、白塔が下から上への順に建ち並び、その中でも高くそびえる白塔が最も人目を引き、白塔は清の順治8年(1651年)に築造され、中にはラマ教の経典と衣鉢が収蔵されている。塔の周りには殿堂や楼閣が連なり、数多くの星が月を囲むような形になっている。湖の東岸、北岸にはいくつかの庭、寺がある。湖のほとりにある五竜亭は水面に漂うように見え、北海のいま一つのユニークな景観である。北岸の九竜壁は更に気宇壮大で、中国に現存する三つの九竜壁の一つである。北海は中国古代の庭園芸術の貴重な宝と見なされている。
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交通
103、107、109、111号トロリーバスで行ける。
胡同(フートン)めぐり
胡同は北京の民家である四合院の間の古い路地のことで、北京特有の景観である。北京では、路地が数千カ所もあり、紫禁城の周りをめぐるようになっており、そのほとんどは元、明、清の三王朝の時代につくられたものである。
「胡同めぐり」(フートン観光)の主なスポットは北京城中心部の*刹海地区にある。ここには北京の古い姿がもとのまま残されており、路地が比較的集中している。そして北京城内の最も古い水域、王府(王族の邸宅)、寺院、知名人の旧居、鍾鼓楼などの景観があり、古い北京を知るための窓口である。
「胡同めぐり」の主な交通手段は人力三輪車で、これ以外に人力で漕ぐ船に乗って、什刹海両岸の市民の生活ぶりをじかに見て回ることもできる。
「胡同めぐり」は多数の外国人観光客を引きつけているだけでなく、オーストラリアの前首相ホーク氏、マイクロソフト総裁のビル・ゲイツ氏など数多くの世界の知名人もその名を慕ってそれを体験している。
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交通
107、118号トロリーバスと810号バスで行ける。
周口店「北京原人」遺跡
房山区周口店村西部の竜骨山にあり、市内から50キロ離れたところにあり、世界に名を馳せた古代人類の遺跡で、「北京原人」の故里ともいわれている。
竜骨山は石灰岩構造で、長期にわたる風雨の浸食で数多くの洞窟ができ、古代人類が身を寄せたと思われる天然の洞穴となった。「北京原人」は約25~60万年前の早期の人類の祖先で、かつて竜骨山の石灰岩の洞穴の中で生活し、旧石器時代の文化を築き上げ、大量の遺物、遺跡を残している。20世紀の20年代、中国の古人類学者が周口店の竜骨山で数多くの大昔の動物の骨の化石を発見し、特に「北京原人」の頭蓋骨の化石が発見されたことは世界中でセンセーションを巻き起こし、その結果、周口店も世界の関連学科の研究基地と北京観光の景勝地の一つになった。
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交通
「天橋」バス停から917号バス、西単ショッピング・モール・バス停から606号バスで良郷へ、環2号バスに乗り換えて「周口店」バス停で下車。
八達嶺の長城
北京市延慶県の八達嶺に位置し、万里の長城の中でも抜群の存在で、明の長城の粋である。八達嶺は実は関所であり、居庸関の外側の門であった。この関所である城は明の弘治18年(1505年)に築造され、東西に城門がそれぞれ一つある。北京に通じる要衝で、昔は最も重要な関所の一つと見なされていた。
八達嶺の長城の城壁は石、青いれんがで山の地形に沿って築かれ、高さは7メートル以上、上の幅は約5メートル。城壁の険わしいところには城台、壁台と敵台があり、よく保存されており、また高い構築技術を見てとることもできる。八達嶺の長城は万里の長城の最もスケールの雄大な区間で、高い山と険しい山峰の間を起伏し、全長は4770メートルで、そのうち対外的にオープンされているのは3700メートルに達する区間である。1995年には2000メートル近くの夜の長城の景観をオープンした。
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交通
「徳勝門」バス停から919号バス、「前門」バス停から1号バス、北京駅バス・ターミナルから観光2号バス、「北太平荘」バス停から観光3号バス、北京西駅バス・ターミナルから観光5号バスで直行することができる。
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