| 初めて日本を知ったのは、少年時代にテレビでアニメを見た時だった。1970年代に生まれた私は子供の頃に初めて「一休さん」を見た時の情景をまだはっきりと覚えている。 その後の「花の子ルンルン(花仙子)」、「トランスフォーマー」なども同様にありありと目の前に浮かぶようで、いまなお記憶に新しい。
さらに、自分で使った日本製の製品からも日本を再認識することになった。
1990年代初めに買った“スズキ―90型”のオートバイは10数年の歳月を私に連れ添ってきた。前後輪のタイヤを何度か取り換えたほかは、その他の部品はいずれも購入時のままで、そこからその品質のすばらしさがよく分かった 。
また村の対日輸出農産物を通じても、日本をさらに知ることになった。輸入品に対する日本の厳格かつ緻密で真剣な態度は周知のことだ。ひょっとしたら、知らず知らずのうちに、あなたは日本国民の日常食品の供給者となるかもしれない。ひょっとしたら、今あなたが加工しているアパレル製品や靴、帽子などが技術検査をパスできず輸出入企業に受領を拒まれ、途方にくれることがあるかもしれない。ひょっとしたら、今あなたが栽培している野菜、果物、穀物が、肥料、農薬の不正使用で加工委託企業から送り返され、呆然とすることがあるかもしれない。ひょっとしたら、今あなたが養殖している家禽や水産物の肉質、残留農薬が基準に達していないことで、加工委託企業に容赦なく拒絶されて傷つくことがあるかもしれない……
これはまるで日本から来た目には見えない“大きな手”がわれわれに忠告を与えているようだ。このような見えない“大きな手”によって、われわれの農業副産物の品質への認識は絶えず高まっており、グリーン食品の生産技術レベルも絶えず向上している。
このような見えない“大きな手”は、善良で友好的で親切な“大きな手”ではないだろうか。
一度も国外へ行ったこともなければ住んでいる省から出たこともない農民にとって、日本は遠くて見知らぬ国かもしれないが、科学技術が日進月歩で発展し、情報が四方八方に通じている今日では、日本は目と鼻の先にあると言えるほど近いのだ。 農業副産物だけでなく、日本は多くの分野でわれわれが学ぶべき対象となるだろう。 日本を感じようとするとき、あなたは満開の桜に海風がそよそよと吹く国が、美しい富士山の山頂に立って微笑みながらあなたにお辞儀しているのに気づくだろう。その微笑みに向かって、われわれの進む足どりも早くならないわけにはいかないだろう。(山東省済南市 李虎)
「 北京週報日本語版」2008年7月15日 |