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太行山抗日根拠地で戦った外国人

 

程文華氏の収集した一枚の古い写真には、中国で抗日戦争に参加したもう一人の外国人が写っている。程文華氏は次のように紹介した。「写真に写っているのはドイツ人医師ハンス・ミラーだ。これはミラーが旧第18集団軍野戦政治部の前で撮った記念写真だ。日付は1984年7月25日で、ミラーはすでに中国に帰化していた。当時北京医学院副院長を務めていたミラーは左権県を再訪し、抗日戦争期に手術チームの駐在地であった桐峪鎮、麻田鎮などを訪問し、太行山で八路軍と一緒に戦った日々を懐かしんだ」。

1984年7月25日、左権県を再訪して旧第18集団軍野戦政治部前で記念写真を撮ったドイツ人医師ハンス・ミラー(程文華氏提供)

1939年、24歳のミラーはスイスで医学博士の学位を取得した。ミラーは日本のファシズムとドイツのファシズムは同じ穴のムジナであり、ドイツと日本のファシズムを打倒しなければ、世界各国には永遠に安らかな日は来ないだろうと考えていた。そこで、ミラーは毅然として自分の唯一のカメラを売り払って乗船切符を買い、中国にやって来て反ファシスズム戦争に参加した。

同年9月、ミラーは廖承志とイスラエル・エプスタインの紹介を通じて延安に駆けつけ、国外から援助された医薬用品600箱と大型救急車1台を届けた。ミラーは延安で毛沢東に会い、八路軍に参加した。1カ月後、ミラーはインドの対中援助医療チームに随行して太行山地区の八路軍総司令部に到着し、八路軍に従って左権県麻田一帯で活動し、負傷者に応急処置を施したり、現地の人々の病気を治したりした後、1943年1月に延安に戻った。

程文華氏は、「太行山抗日根拠地において、ミラーのような医療作業に従事していた外国人が多くいる。彼らは前線へ行って傷病者を治療したり、医療関係者の訓練に協力したり、医療機関の設置に加わったりした」と語った。

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