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紫金草合唱団28人がやって来た

 

◇断片的過ぎる日本の新聞記事内容◇

厳粛な雰囲気の中で行われた南京大虐殺追悼75周年式典

私は2001年に南京大学に赴任したあと、毎年、この追悼集会に参加して式典を目撃してきた。式典は毎年開催されているが、日本のメディアはほとんどニュースとして取り上げていない。中国側は毎年、新聞、テレビで大きく取り上げるが、日本側は65周年、70周年など時折小さなニュースにするだけである。今年は75周年であるため、中国に常駐する特派員も取材にきたが、ニュースの取り上げ方を疑問に思った。

<比較的落ち着いた式典で、南京市内ではデモなどの発生はなく、中国メディアの報道規模も例年並みだった。>(毎日新聞)

<式典に先立って会見した朱成山記念館館長が、名古屋市の河村たかし市長の南京事件否定発言を改めて批判した。>(朝日新聞)

<「先生に行けと言われて来た。意味がよく分からない。」と地元小学生が小声で打ち明けた。>(東京新聞)

<記念館側の要請を党中央が認めれば、記念館は国立記念館などに昇格、追悼式典は国家的な行事となる可能性がある。>(産経新聞)

デモがないから落ち着いた式典、という認識には違和感がある。参加者が初めて9000人に増えたことは例年の2倍近い数である。小学生が75年前の追悼式典の意味を分からなくとも仕方のないことではないか。記念館の館長が記者会見で、南京事件否定発言を問われれば批判するのは当然のことである。75周年式典でことさら取り上げるニュースではない。式典が国家的行事となった場合、どのような意義と課題が出てくるのかがニュースなのではないだろうか。

南京大虐殺記念館敷地にある「和平大舞台」で歌う紫金草合唱団
 
 地元南京市内では、1週間前から南京事件に関するイベントを展開している。式典当日に来て、館長の記者会見と式典だけを見て、予定稿を手直しするだけで記事にするのはあまりに断片的過ぎる。紫金草の歌声も聞こえず、日本人の参加者が少ないことなどは取材しなかったのだろうか。世人に警告を発する「社会の木鐸」と言われた新聞の存在意義を取り戻す記事がなければ、衰退する新聞は、ネット時代の暴風雨の中に埋没していくしかないだろう。
 紫金草合唱団は来年1月には名古屋市で、同3月には米国・ニューヨーク市で公演を予定している。各地で歌声を響かせ、日中関係の交流復活の種子を蒔こうとしている。各地の報道メディアのニュース眼力が発揮されることを強く期待している。(写真はすべて筆者写す)

「北京週報日本語版」2012年12月20日

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