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サーチナ代表取締役・端木正和氏 留学生から起業家へ
 

チャンスをつかみ、私費留学

「小さい頃、日本に対するイメージは特になかった。父が法律の仕事をしていた関係から、家には『小六法』のような日本語の法律関連の書籍があった。当時、日本語は中国の文語文と似ていると感じ、だんだん漢字を使っている日本に親近感を覚え、その後、日本への留学を決意した」と端木氏は思い出しながら述べた。

80年代前半、海外留学はまだ大学教師、科学研究員など政府派遣の人々に限られ、一般庶民はほとんどチャンスがなかった。数多くの海外留学を期待する若者たちは、仕事したり勉強したりしながらチャンスを待っていた。1985年、チャンスがついに来た、中国政府は一般公民の私費留学を許した。「1986年頃、次々と私費で留学する人が出て来て、その後、留学者の人数はだんだん多くなって、1989年、日本への留学手続きをすませた私は日本に来て、まず日本語学校に入学した」と彼は言う。

80年代後半の留学ブームの中、当時17歳の端木氏は初めて外国へ行った。東京に来て最初に感動したのは地下鉄のエスカレーターを見たときだった。「地下鉄の御茶ノ水駅へ行ったとき、中国では見たこともなかったエスカレーターに目を見張り、あれだけ地下深くに続くものを造ることができる日本の技術に圧倒された」と端木氏は語る。

日本語学校に2年間通った後、1991年、端木氏は亜細亜大学の法学部法律学科に入学した。毎日、まじめに勉強しながら、生計を維持するために、苦労してアルバイトしなければならなかった。「80年代後半と90年代前半の私費留学生の生活は苦しくて、負担は比較的多かった。まず、みんな自分の授業料をほとんど負担しなければならなかった。次に、当時は日本に来る前に、家族がいろんな人から多額のお金を借りて、留学の最初の資金にしたので、この費用を自分で返さなければならなかった。それ以外に、その頃の日本への留学は一族を代表していたため、普通の中国留学生はみんな家に生活費を送り、帰国する時にはまた日本のテレビ、冷蔵庫などの家電製品を買わなければならなかった。しかし、中国経済の発展、対外開放度の拡大及び国内1人当たりの平均収入の増加に従って、現在では来日の中国留学生の生活は20年前と比べて非常に楽になっている」と言う。

1978年から2007年末まで、中国の海外留学生の人数は累計で121万1700人に達し、100余りの国と地域へと留学している。30年間で海外留学は「エリート留学」から「大衆留学」に転換してきた。端木氏によると「改革開放から最初の10年間に日本へ来た中国人留学生は、ほとんど国費留学生で、彼らはみんなとても優秀だった。ここ20年間で私費留学生の人数が大幅に増加した。彼らの素質はまちまちだが、人数が多いため、日本社会にある種の存在感を与える人もいて、中国人留学生の日本での影響力も次第に拡大している。例えば、中国人留学生協会の数や各活動に参加する中国人留学生の人数は明らかに増えている」と彼は言う。

株式会社サーチナの会議室

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