最もスリルを感じた夜 ―東京で地震体験─
東京に着いてから初めての夜12時半ごろ、東京高輪プリンスホテルのベッドの上で眠りかけていた時、私は朦朧としながらベッドの中で大きな揺れを感じた。直ちに頻発する日本の地震を思い出し、私はすぐ隣のベッドでまだ眠っている日本語学部の後輩を起こし、懐中電灯と食べ物を手に、二人で二つのベッドの間に飛び込んだ。揺れが何分間続いたかも分からず、落ち着いた時、私はやっと全身の冷や汗に気がついた。
翌日、ガイドさんから今回の地震の震源が青森県で、マグニチュード6.8で、東京ではそれぐらいの揺れは普通だと聞いた。「普通」の地震であっても、初めて身をもって体験した地震の前で自分の無力さを感じた我々にとって、自然災害が頻発する地の人々が自然に身につけた危機感がよりよく理解できるようになった。後に、東京北区防災センターで、地震、火災などへの対策について勉強することで、自分の防災意識の希薄さがもっと分かってきた。
中国人は世俗の生活を最も重んじ、危機に瀕した際、人を支える力となるのは、普通は家族愛、友情や責任感などである。我々中国人は、自然の威力に対する畏敬の念と、災害から身を守る教育がまだまだ足りない。逆に日本人は、自然災害の恐ろしさに直面し、できるだけ必死に防災の対策を立てている。5·12四川地震の後、一刻も早く防災について日本に学ぶべきだと痛感している中国人が沢山いる。
最も格好悪いパーティー ―パーティーでの「立ち食い」─
中学の軍事訓練の時しか経験しなかった「立食」を、在中国日本国大使館主催の歓送パーティーと日本の外務省主催の招待宴でまた身をもって体験するとは思いも寄らなかった。
挨拶などが終わって、やっと「乾杯!」の声が上がったとたん、300人あまりの団員が湯気を立てているバイキング料理のところへどっと押しかけていく。何しろ人数も膨大だし、並ぶのに大変時間がかかる。椅子もないため、晴れの姿をしている紳士淑女の中にも、並んだまま立ち食いをする人が多く出てきた。そんな行為はみっともないと非難の声も多少聞こえるようだが、疲れた一日の旅を終え、空腹になっている皆にとって、そんな声は無視したほうが体にはやさしいかもしれない。他にも、人に頼まれて同じ料理を沢山とる人もいる、そんな人の後に並んだ場合は、空っぽの皿に向けて涎をたらすしかない。正式なパーティーにしてはおかしな光景である。立食なんて辛い、こんなの慣れてない、という文句も沢山出てくる。
立食パーティーは、洋式の宴会でやることというが、中国ではあまり受け入れられていない。テーブルを囲んでずっと座ったまま料理を楽しむ中国人にとって、立食を窮屈に思うのも当然のことだろう。それに対し日本人は、正座のまま食べることもあるし、立食の伝統もあるそうである。昔の屋台や今の居酒屋で、客が立食のまま軽食を食べる風景を時々目にする。立食なら、時間、空間とお金の節約ができるという発想からでたものであろう。日本の風土にとって、立食はもっと受け入れやすいのかなと思う。
トイレの不思議な一角
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