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街、和服そして富士山
雨が上がって晴れたある日、私たちは中部の静岡県に向かいました。そこは日本民族の文化的精神をよく理解できるところだ、と言われています。日本の象徴である富士山があるからです。掛川市や磐田市、沼津市、浜松市……。県内をめぐるなか、どこへ行っても、富士山はいつも遠くの雲の合間に見え隠れしていました。山頂に万年雪を戴いているせいか、富士山はあたかも真っ白な洒落たスカーフを巻いているかのようで、山体は実に柔らかで美しく、しかもきめ細かくて、日本の伝統文化そのものだと感じました。
呉服店の店長と筆者(右)
富士山の麓には行けませんでしたが、沼津市内のある場所から、彼女(富士山)のいるところに宿泊する予定の小さな温泉旅館を目にすることができました。早朝、恐らく部屋を出たのはわたしが一番だったのではないでしょうか、部屋を出てからお寺に行きました、頭をもたげて見てみますと、富士山が黎明淡き雲霧のなかに望むことができました。まるでわたしに微笑んでいるかのようでした。これが日本的な美、穏やかであり、静寂であり。一瞬、ほとんど寝つけなかった煩わしが吹き飛んでしまいました。
日本的な美、と言えば、和服がもっとも代表的でしょう。日本人が和服を寵愛するのはその文化を寵愛するようなものですし、芸術的な創造を余すところなく和服に表現していると言えるでしょう。静岡県日中友好協会の会員が、わざわざ私たちに顔なじみ和服店の女将を紹介してくれました。赤色の地に金色の花という暖色調の和服に身を包み、白帯をしめて颯爽とした足どりで出てこられました。小柄な女将はこう話されました。「日本の女性は和服を着たときが、もっともきれいなのよ」。わたしは思わずオーバーでは、と言ってしまいましたが、彼女は笑って答えず、店頭の陳列品のなかから一着を取り出し、わたしに試着させてくれました。
それは深い藍色の地に大ぶりの白色の桜の花をあしらった綿の和服で、合わせ帯の色は濃い緑色でした。わたしは色のコーディネートがどこか違うのでは、いぶかしくも思ったのですが、着てみたらなんと、まったく違うものに感じられたのです。藍と白が素地の綿布は、幅広の緑の帯を配することで、きわめて清々しく雅やかなものに変わったのです。帯は鮮やかでも俗っぽくなく、全身に飄逸でしなやかさが感じられました。わたしは本当に自分が変身したのでないかと驚かされました。鏡の前に立つのがまるで第三者のようで、傍観する視角から上下左右と眺め続けているうちに、日本民族というこの特別な、敢えて言えば憂え悲しむような美を肌で感じ取ることができたのです。
日本の奈良時代はちょうど、中国の盛唐時代にあたります。当時の日本は数多くの使節や留学生を中国に派遣して学ばせ、服装も含めて盛唐文化を持ち帰っていたことで、日本の歴史のなかで初めて文化が各方面にわたって興隆するようになりました。和服も唐代の服装をもとに変化し完成されてきたものです。私たちの国でほとんど消滅した文化がどうして、日本でこんなに長く今日まで引き継がれ、しかも発展して昇華し、完全に自らのものに変化したのか、わたしには分かりません。
日本では、都市であれ農村であれ、通りが汚れていないことに深く感服させられました。浜松市の40歳ほどの日中友好協会会員が私たちを伴って夕食後に散歩に出たときのことです。突然、足元の地面を指さしながら「どうです、あなたがた中国の道路はこんなにきれいですか」と話し、その言葉にみえた傲慢さにわたしは少々不快な感じを抱きました。すると彼はすぐに、日本人は生活する環境を大切にしているとか、民族全体に環境を保護する習慣があるとか、といった話しをし始めました。でも、わたしは何も話しませんでした。それを認めざるを得なかったからです。日本は確かに清潔さ大切にする民族であり、ごく普通の人の小さな住まいであっても、明るくて清潔で、きちんと片づいていて、トイレには淡い香ばしいにおいが漂っています――。日本では公共の場所や通りでもごみや汚れはなく、道行く人が勝手にものを投げ捨てたりすることを目にしたことはありません。
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