毎月1回の「ノーカーデー」だけで渋滞を緩和させ、居住環境を改善しようというのは非現実的だ。「ノーカーデー」を通じて市民の環境保護意識を啓発し、より多くの市民に人と車、車と自然といったことに思いをめぐらしてもらい、車での外出を自覚的に減らしてもらえれば、「ノーカーデー」を強力に提唱する意味がある。
大河報・徐光木氏の話:人類は自動車がもたらす利便性、快適さなどを十分享受すると同時に、日々それがもたらす環境汚染や渋滞、エネルギーの浪費といった難問にも直面させられている。自動車は両刃の剣だ。ある意味で車が社会にもたらす積極的な役割は日増しに縮小され、反対に消極的な影響が生じつつある。
社会の発展が進んだ今では、多くの人が自家用車で外出するのが習慣となった。私たちは外在的な力によって人々の習慣を矯正する必要がある。
こうしたことからも、環境保護のうえで「ノーカーデー」が果たす積極的役割を軽視してはならない。それは、1日の「ノーカー」のためだけでなく、健康、環境保護、理想的な交通と外出スタイルなどを啓発し、毎日を「ノーカーデー」と同様の状態にしていくことが根本的な目的だ。
長江商報・安平氏:昆明の「ノーカーデー」対する非難の主な論点は、世界的な「ノーカーデー」の意味に背き、「強制」に対して反発するものだ。これは外国で流行している「ノーカーデー」の焼き直しだが、実は外国の「ノーカーデー」は強制的な措置を完全に排除するものではない。たとえば、パリでは市内でマイカーを運転することを全面的に禁じている。
交通警察が実情に基づき車の交通量を制限するのは少しも目新しいことではない。昆明に登場した毎月1度の「ノーカーデー」の効果のほどについては時間をかけて結論を出す必要がある。一つの措置が講じられてすぐに、慌しく反対を表明するのは理性を欠いた反応だ。
「北京週報日本語版」 2008年1月23日 |