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気候変動は今、世界が関心を寄せる重要な議題の1つであり、事務総長自身もこの問題に大きな力を入れている。今年12月にバリ島で気候変動に関する会議が開かれるが、どんな期待を持っているか――
9月24日、私は議長として、国連気候変動ハイレベル会議を主宰し、一連の大きな成果を収めた。80人の元首を含む168カ国の代表が出席し、会議で非常に明確な情報を伝えられた。
まず、われわれが世界的な温暖化による影響を確実に感じていることが科学によってはっきりと分かったことだ。次に、国の指導者たちがいずれも、いまこそ国際社会が行動すべき時だという点で一致したことだ。しかし現在、われわれの行動はまだ十分ではなく、それにふさわしいものでもない。そのため、われわれは積極的に行動を起こすべきである。さらに、出席者も国連と「国連気候変動枠組み条約」がこの議題の討議に適した場であることに賛同の意を表したことだ。
これらの情報がバリ会議で交渉する人たちにはっきりと、大きな声で伝わるよう望んでいる。われわれは国の指導者たちがすでに信頼できるこうした情報を広めていると信じている。これを踏まえて、事前に策定した交渉の路線と方向にわれわれがバリ会議で新たな活力を注ぎ込むことができるよう望んでいる。これは長くてつらい過程になるだろうが、バリ会議は1つの起点になるべきだ。国際社会は十分な準備を行って、その場で緩和、適応、技術、融資の方法など具体的な問題をめぐって話し合い、必要な共通認識を得なければならない。中国は新興経済体として、全局面に影響する重要な地位にある国である。中国がそれに積極的に参与するよう望みたい。私は中国が自国内部の挑戦に直面していることを知っているが、同時に中国政府が気候変動問題で講じた自身の行動と確約は素晴らしいものだとも思っている。中国の積極的な参与と確約は極めて重要なものになるだろう。
2000年に韓国と朝鮮は初の南北サミットを行い、最近、2回目のサミットを行ったが、この2回のサミットで収めた成果をどう比較するか――
第2回サミットで得た結果は人々を励ます、感動的なものだったと私は考えており、こうした成果は喜ばしいことだ。2000年6月に行われた第1回サミットは極めて歴史的な意義がある。それは史上、前例のないものだったからだ。当時、幾つかの合意がなされたが、いまだに実施されていない。
今回のサミットで達した合意はより具体的で、ずっと進歩した。これは双方の間ですでに進めている交流と協力を強固なものにし、民族の和解と相互信頼の確立にも必ずプラスとなる。このように共通の認識を持ち、それらを様々な形で実践していくことで、南北双方は朝鮮半島の平和と安全のための基盤をより強固なものにできると信じている。もしすべてが順調に進んでいくならば、その平和と安全への貢献は単に朝鮮半島だけにとどまらないだろう。
まさにいま言及したように、双方が第1回サミットで達した共通認識は様々な原因で実行に移されていない。今回のサミットで達した合意が実行されるようにするには、双方はどんな潜在的な障害を乗り越えるべきだと思うか――
朝鮮半島は長期にわたって分断状態にあるため、南北双方の間の信頼と自信は十分とは言えない。その間の偶発的事件によって多くの障害がもたらされたのも確かであり、第1回サミットでの合意の実施は難しくなった。過去7年の間に双方の交流と協力はかなり拡大し、深まった。これを踏まえて、南北双方の相互信頼は強化され、双方の指導者は細部にわたり多くの点で意見が一致した。そのため、今回のサミットでの合意は前回よりかなり円滑に実施されると信じている。
どんな要素が最近北京で開かれた6カ国協議が採択した共同文書の実施に影響を及ぼすと思うか――
そう、私はやはり楽観的な人間で、そうしたマイナスの要素あるいはいわゆる障害については深く追究したいとは思わない。原則的には、われわれは6カ国協議の文書の着実な実施にプラスとなる要素に着眼すべきである。今回の6カ国協議で達した共通認識は、朝鮮半島の非核化に向けた、例えば、核施設の無能力化、すべての核施設と核燃料の最終的な廃棄など、そのプロセスでの多くの重要な要素を含め、大きな進歩でもある。これは非常に重要な共通認識であり、大いに励まされた。今年2月の共通認識を踏まえた大きな進展である。
すでに60歳を超え、耳を傾けることに長けたと話されたことがあるが、このことを立場が不安定であると解釈する人もいる。これをどう評価するか――
人は60歳になると、それぞれの人の見方や考え方を傾聴して、自ら判断する優れた知恵を持つことができるはずだ。こうした判断は最も合理的で、客観的なものでなければならない。アジアの文化では、謙虚と控えめが重要な美徳である。これを確約や指導力、精力あるいは活力に欠けていると誤解してはならない。このような「控えめ」はその人の事を処理する一種の風格だ。だが、そうであっても重要な状況の下では、私は果断にかつ決然と決断するだろう。
「北京週報日本語版」2007年10月15日
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