戦争の終結後すでに60年が過ぎ去り、戦争を直接経験したことがある人たちは今やますます少なくなり、その戦争体験が後世の人たちに与える影響力もますます小さくなっている。ある統計データによると、現在の人口の中で、戦後に生まれた人は70%以上を占めている。40―60歳の人はそれ以前の世代の人たちの口から戦争に関する部分的な感性的知識を得ることは可能であったろうが、20歳ぐらいの青少年は両親の口からも戦争に関する感性的認識を耳にすることも難しい。したがって、多数の人にとって、戦争の歴史に関する認識には空洞化と抽象化の趨勢がある。多くの若い人たちにとって、戦争は古い過去のことであり、自分たちの世代にとって、戦争はゲームのように、コンピュータのバーチャルな世界だけで目にすることができるものなのである。この空洞化と抽象化の認識は、誤った道、特に狭あいなナショナリズムの方向に引っ張っていかれやすいものである。このような現象は東アジア諸国の中でいずれも目にすることができる。むろん、かつて侵略戦争を起こした日本にとって、感性的認識の風化は更に大きな危険性を持っている。これから見ても分かるように、歴史的事実の共有、更には歴史に対する共通の認識ひいては歴史観を確立することは、すでに政治面の問題だけではなくなり、一部の人たちの感情の問題でもなく、平和と発展の目標が打ち出した要求であり、人類社会の発展の必然である。
21世紀に入って以来、中日関係には多くの不安定要素があるとはいえ、中日関係の再建に関心を寄せ、それを期待している声も非常に強い。昨年2月に、日本の外務省が「日中関係に関する世論調査」を行った結果は、77.9%の人は「日中関係を改善すべきである」と考え、46.5%の人は20年後の両国関係の中で「摩擦はいくらか増加することはあり得るが、しかし今よりは好転することになる」と見ている。昨年10月に安倍首相が中国を訪問した後、7割以上の中国人は、中日関係の改善を必要とすると思うようになっている。このため、歴史に対する共同研究を通じて、中日関係問題の健やかな方向への発展を促進することは、われわれの当然の義務である。
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