2つ目の問題に関しては、わたしもつねに日本の教科書の採用状況を例として説明している――扶桑社の『新しい歴史教科書』が広く採用されていないのはその教科書が侵略戦争を評価する際の基本的な立場のためである。それから見ても分かるように、多数の国民は平和を願い、戦争に反対しているものであり、この人たちも往時においてアジアと中国を侵略した戦争を批判し、反対しているのである。われわれが対話している相手は事実上より多くがこのような日本人である。もちろん、戦争は確かに日本の国民にも苦難をもたらし、彼らの中の多数の人たちは相変わらず「日本人は戦争の被害者である」という立場に立って戦争に反対している。しかし、われわれはこのような立場に立って戦争に反対するだけではまだアジア諸国の国民に理解されることはできず、「反戦」はなにも世界的な意義を持つ行動のスローガンではないからである。戦争の期間、日本はアジアに危害を与えたが、多数の日本人にとって「危害を与えたもの」の認識は比較的浅い。多数の日本人は戦争についてふれると、何よりもまず思い出したのは広島、長崎への原子爆弾の投下、東京の空襲などである。原子爆弾の投下と空襲は確かに事実ではあるが、問題はいかにしてそれを分析し、理解するかということである。もし日本がアジア人民にもたらした傷跡と災禍を十分に認識するならば、日本人が被害をこうむった原因も理解しにくいはずはないのである。しかし、日本の歴史に関する教育は危害を与えた問題を重視しないため、戦争史に対する認識におけるわれわれとの主要な食い違いが生じたのである。しかし、必ず見て取らなければならないのは、こうした状況が前述の意識に侵略戦争の責任を否定している『新しい歴史教科書』を編纂したものの事情とは違うということである。もしわれわれが扶桑社の歴史教科書に対し理論面、認識面から批判をすることが必要と言うならば、その際に、両国国民の間の歴史についての異なった認識について、私達が必要とするのは討論を踏まえたコミュニケーションと相互理解である。このコミュニケーションと相互理解は、扶桑社の歴史教科書の影響力を最大限に減らすことが可能となる。
人々は次のような問題を提出するかも知れない――戦争の終結後すでに60年が過ぎ去ったが、なぜ歴史認識の問題が今なお解決されず、ひいては悪化の傾向があるのか?もちろん、右翼と保守勢力がほしいままに振る舞っていることも重要な要素であるが、われわれはまたどうしても戦争史に対する感性的認識が次第に風化しているという問題にも関心を持たなければならない。
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