1959年、精緻な方鼎が湖南省寧郷県黄材鎮で出土した。その内側には「大禾」という2文字の銘文が刻まれており、鼎の四面にそれぞれ人物像があることから、「大禾人面方鼎」と名付けられた。名称は定着したものの、これに関してはさまざまな推測が続いている。先般、長沙で開催された「湖南省商代末期~西周時代出土の青銅器に関する学術シンポジウム」の席上、武漢盤竜城遺跡博物館の劉森淼研究員は、この方鼎は当時の「大禾」諸侯国のもので、諸侯国の統治者は1人の強権を有する女性だったと語った。
「商代には、青銅の方鼎は上流社会の専用品で、諸侯王以上の貴族しか使っていなかった」という多くの専門家と同じ見方をする劉森淼氏は、方鼎が出土した寧郷県黄材鎮はかつて殷商王朝の諸侯国、つまり「大禾」諸侯国だったと見ている。「大禾」国はどういう人が建てたのかについて、劉氏は国の統治者は1人の強権を有する女性だったと見ている。方鼎に描かれた人物の顔立ちはまろやかでつやがあり、唇は厚くてひげがなく、耳には爪の形をした飾りをつけ、耳の上の「几」という形は頭に髪飾りがつけられていたことを示している。このことから、人物像として描かれているのは高貴な女性であろうと劉氏は考えており、しかも大禾国が信仰の対象としていた神や統治者だった可能性が高いとしている。
「方鼎の女性の人物像は大禾国が女権国家で、その統治者が1人の強権的な女性だったことを示している」と彼は言う。 また劉氏は自らの結論を実証するため、寧郷に出土した多くの青銅器を研究してきた結果、「これらの青銅器の多くには蛇、カエル、魚などの模様があるが、これらはすべて女性の隠喩だ。そして、このような性にかかわる隠喩はほかでもなく女権社会の重要な特徴の一つだ」と指摘し「これらの模様は湖南省で出土した商・周時代の青銅器の中に際立って見られるが、その他の地区では少ない」と語り、そのため、湖南省の商・周時代の青銅器のこうした特徴は、大禾方鼎が示す女権の特性と一定の関係があると見ている。
写真:大禾人面方鼎
「北京週報日本語版」2007年11月5日 |