「旧正月に散髪すると、おじさんを死なせることになる」。中国の一部地方ではこんな言い方が昔からある。旧正月(旧暦の1月1日から同15日)に散髪しないという風俗はこうして形成された。河北省の都市・農村部の理髪店は、旧正月前は忙しいが、旧正月中は暇、そして農暦の2月になるとまた忙しくなるという。
開店休業状態か一時休業
河北省安新県の大張荘村。旧正月の間、全村に3店ある理髪店はいずれも一時休業した。「旧正月に散髪すると、おじさんを死なせることになる」。これが商売に大きく響いたのだ。理髪店を経営する孫国立さんによると、旧正月前に客が集中。とくに大晦日までの数日前は夜1、2時ごろまで営業し、旧暦の2月2日を過ぎるとまた忙しくなったという。
河北省の滄州や衡水、山東省の徳州などその他の農村でも同じだ。
新旧考え方の“勝負”
若者たちは「旧正月に散髪しない」習俗を打ち破ろうとしてきたが、こうした努力は常に両親の反対に遭った。北京で働いている王海清さんは大晦日に実家の河北省安新県大張荘村に帰省した。旧正月前は仕事が忙しかったので散髪できなかったため、安新県で髪を切ってさっぱりしようと思ったが、両親は猛烈に反対。「おじさんが3人いるから、散髪すれば不幸なことになるかも」。古めかしいしきたりだが、新年を迎えるので、言い争って両親を傷つけたくない、と王さんは思ったという。そこで、北京に戻ってから散髪することにした。
80年代以降に生まれた若者たちは迷信だと考えているが、この迷信を打ち破ることは即ち、父母と“勝負すること”でもある。
旧正月に散髪するという息子に対し、河北省石家荘市に住む中年の女性、趙愛萍さんはこう話したという。「中高年の人は一般にみんな伝統を重んじている。祖先が残してくれた伝統的な習俗にはもちろん道理がある。旧正月を過ごすのも習俗であり、これが失われたら、新年にどんな意味があるだろうか」
「旧きを偲ぶ」の誤解
民俗学者で中国民間芸術家協会の鄭一民副主席は「旧正月に散髪すると、おじさんを死なせることになる」というのは事実的な根拠はなく、実際には誤解によるものだ」と説明する。
考証によれば、清代前まで、髪は父母から賜ったもので、生涯にわたってすべて残さなければならないと人びとは考えていた。1644年に清が山海関に入って清王朝が誕生すると、政府はすべての男性に前髪を切り、弁髪を頭の後ろに下げるよう命じた。だが、多くの人たちが伝統的な習俗の遵守と明王朝を偲ぶ思いから、剃髪に抵抗。こうするうちに、旧正月が来るたびに、剃髪しないよう密かに呼びかける者が現れた。この行動は「思旧」(旧きを偲ぶ)と命名された。時の移り変わりとともに、「思旧」の気持ちは薄れていき、発音が同じである「死舅」(おじさんを死なせる)に付会され、それが今日まで民俗として伝えられてきた。ある意義から言えば、中国文化の核心は「人倫の文化」であり、父は慈しみ、子は親孝行し、兄は友だちであり、弟はうやうやしいことを重視してきた。こうした文化的背景のもとで、この「誤解」が大きな力を持つようになったのだと言えるだろう。
「北京週報日本語版」2007年3月13日
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