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NBA事件の本質は二つの社会が尊重し合えるか否かという問題
  ·   2019-10-11  ·  ソース:人民網
タグ: NBA;香港地区;政治
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4、政治的に正当か正当でないか 

表現の自由と関連し、外延性のある概念は、「政治的正当性」(及び正当でないこと)である。

ある言論が政治的に正しくないとみなすことは、表現の自由の限度や制限、タブーとされている範疇に抵触したと考えることだ。政治的に正しいか正しくないかという基準で言論に安全な範囲と限度、触れてはならない部分を設定することで、人々は自ら限度を越えることを回避し、意識して自主的な検閲(censorship)をするようになる。たとえば、人種や性別、宗教信仰、社会的弱者に関連する敏感な話題について発言することを避け、他人や特定の人々を傷つけることを避けようとする。

もう一つ、これに関連し、広く中国語で用いられている概念が「政治的正当性(ポリティカル・コレクトネス)」だ。「政治的正当性」はすなわち政治的に正しくないことの反対の意味にあたり、主流となる価値観や認識、規範、基準、習慣に合致している言論である。

たとえば米国では、「民主」や「表現の自由」、「人権」を擁護し、神をたたえることは間違いなく政治的に正しい。中国では、国家主権の神聖さと領土の完全性を擁護することこそが絶対的な「政治的正当性」となる。

さらに具体的に言うと、いかなる社会においても、集団・層の違いによって、何が政治的に正しく、何が政治的に正しくないかの基準は変わってくる。たとえば米国では、誰もが憲法と体制を擁護すると言い、それには議論の余地はない。しかし、「国歌を歌う時に必ず起立し、敬虔な気持ちを持たなければならないか?」、「国旗と国歌に対して疑問を抱き、敬わなくてもいいのか?」という問題に関しては、右派はそれを正しくないと考えるが、左派は受け入れられる(正しくないわけではない)と考えるだろう。

国が違えば、その基準はさらに異なるものになる。米国では、政治家が神や信仰をたたえても政治的に正しい。しかし英国では、政治家が神をたたえた場合、政治的に正しくないわけではないが、人からおかしいと思われるだろう。

ある社会の人々から政治的に正しい、もしくは正しくないとみなされることに対し、別の社会の人々が下す判断はその反対になるかもしれない。それは、異なる社会においては、その文化や伝統、歴史、価値観、社会構成、直面する社会問題や矛盾点が違うからだ。そのため、一部の基準(すべての基準ではない)は社会によって構築され、文化によって決定され、特定の社会に的を絞ったものであり、広く適用されるものではない。

西側世界、特に米国では、民族主義は極めて深刻なタブーとなる。なぜなら西側社会にはおしなべて非常に複雑な民族関係の歴史があるからだ。

米国では、社会主義は表現の自由に含まれ、政治的に正しくないとは言えないが、「良くない」言葉であり、非常に慎重に用いなければならない(学術分野を除く)。西欧では、社会主義は非常によく見かける言葉で、政治的にも正しいと言ってよいだろう。そして日本では、共産党は確固として存在する重要政党である。

国によって歴史や伝統、文化、社会人口構成、価値観、イデオロギーが異なり、何が表現の自由の限度とタブーで、何が政治的に正しく、何が政治的に正しくないかについても、異なる理解がなされている。一国の基準を単純にほかの国にもあてはめることはできない。

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