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評論  
世界を揺るがしたエジプト政変

劉月琴(中国社会科学院西アジア・アフリカ研究所研究員)

 

チュニジアとエジプトで突然相次いで政権が崩壊し、国際社会の熱い視線は中東東部のイラン核危機から北アフリカへと移った。今回の政変の勢いはすさまじく、波及する範囲もたちまち広がった。エジプトに続いて、中東地域で相次いで自国政府への抗議の波が起き、地縁政治の衝撃波は地域全体へと波及、すでに大きな規模となっている。明らかにドミノ現象が起きている。中東諸国政府が次々に深刻な衝撃を受け、中東・北アフリカ地域ではすでにあらしのような勢いを呈しており、イスラム・アラブ世界を震撼させ、世界中を騒然とさせている。

エジプト政変の主要原因

社会矛盾の激化 今回の抗議行動は軍事政変でも、イスラム過激派の仕業でもなく、また外部勢力が関与した背景もなく、エジプトの国民生活と密接な関係があった。

2011年1月25日からエジプトで発生した政変の矛先は、30年近く政権を握っていたムバラク大統領に直接向けられ、ただちに辞任するよう要求した。反政府抗議行動はエジプトの政治、安全、経済、外交などの分野に深刻な影響を与え、国際社会の強い関心を呼んだ。エジプトとアラブ諸国は、今回の動乱の性質を「民主革命」と規定した。2月11日、ムバラクが抗議の声の中で辞任を余儀なくされると、エジプト政権は6カ月にわたる移行段階に入った。

ムバラク時代は終わったが、エジプトの社会矛盾の深刻さが浮き彫りとなった。エジプト社会は貧富の差が極めて大きく、特に生活水準の低さが生んだ社会矛盾があまりに長く放置されてきたため、国民の恨みも長い間募っていた。社会問題が長期にわたって解決されなかったため、深刻な両極化を招き、さらに高い失業率とインフレ率もあいまって、最終的に民衆が造反に立ち上がるに至った。そこには必然性があったのである。

世襲による継承に対する懸念 ムバラクは30年の長きにわたって政権を握っていたが、この間国民の生活は向上せず、かえって低下した。実のところ、人々がもっと懸念していたのはムバラクが息子のガマルに位を譲ることだった。抗議者の要求に迎合するために、ムバラクはすぐに一連の措置を講じて政治情勢の変化に順応しようとした。ムバラクは次期大統領選挙には出馬しないとの考えを明示し、今年9月の大統領任期終了時に政権を離れ、息子のガマルも大統領選挙に立候補しないことを表明した。さらにムバラクはすぐさま改革と譲歩を進める姿勢を見せ、憲法改正を提起し、大統領候補者資格条件の緩和と大統領任期の制限を行い、政府に対して重大な人事調整を行った。しかし、ムバラクのこのような努力も時すでに遅しであった。

政府官僚の腐敗 エジプト政府官僚の汚職・腐敗と低い民衆の生活水準は鮮明なコントラストを見せている。ムバラクを含むエジプト政府官僚の腐敗は深刻だ。外電によると、ムバラクの個人資産だけで200~700億ドルに達し、エジプトの年間国家収入の30~50%を占めるという。驚くべき比率である。抗議者の腐敗に対する処罰要求に応えて、2月21日、エジプト当局はムバラクとその家族の国内外の資産と口座を凍結し、金融担当者による徹底的な調査が行われた。エジプト司法機関は高官に対し調査を行い、民衆に汚職官僚の処罰、腐敗撲滅に早急に取り組む姿勢を伝えた。

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