中国の南部地域に位置する広西チワン族自治区は、ベトナムと国境を接し、中国で少数民族の人口が最も多い5つの民族自治区の1つである。2007年末までに、総人口は5003万で、そのうち少数民族の人口は1921万で、38.4%を占めている。広西はまた農業を主とする自治区でもあり、農業人口の比率は今でも80%に達する。
幸いなことに、中国経済のバランスの取れた急速な発展、対外開放のレベルが日ましに向上するにともなって、長期間未発達地域であった広西は、急速な発展のチャンスの時期を迎えることになった。統計データが示しているように、2003年いらい、広西の経済の総量(GDP)は5年連続して2ケタの成長を保ち続け、年平均12.7%増で、全国の平均伸び率を上回るものとなった。そのうち、2007年のGDPの伸び率は15.1%で、全国で第6位となった。
「発展の加速は依然として広西にとって最も切迫した任務である」と郭声琨氏は広西がここ数年間におさめた成果に対しなお満足してはいない。
広西チワン族自治区は2007年に「科学的な発展の3年計画」を打ち出した――2010年までに自治区のGDPが1兆元を上回り、1年間くり上げて「第11次五ヵ年計画」(2006-2010)の目標の達成を目指している。
このため、広西チワン族自治区は2010年末までに食品、非鉄金属、石油化学、冶金、自動車、機械、電力などの年間売上高千億元以上の七つの支柱産業を育て上げ、自治区全体の工業増加額が生産総額の40%を占めることを打ち出した。
「自治区創立50年間いらい、広西では民族紛争事件が発生したことがない。」 2008年11月20日、広西チワン自治区主席の馬飈氏はメディアの共同取材に応じた際、こうしたむつまじい民族関係は、広西経済の急速な発展の肝心な要素となったと語っている。
馬飈氏によると、2007年までに、広西の少数民族の政府公務員はあわせて約41万人で、広西全体の政府公務員総数の36%を占めている。自治区の12の民族自治県と58の民族郷の政府の「最高責任者」は、すべて少数民族の幹部であり、少数民族の国政に参画し、討議する権利は適切に保障されている。
開放の最前線
2002年11月4日、中国とASEANは『中国―ASEANの全面的経済協力の枠組み的合意』に調印し、2010年に中国―ASEAN自由貿易地域を作り上げることを決定した。経済の規模から見て、この自由貿易地域はNAFTAとEUに次いで、世界で3番目の大きさの自由貿易地域となり、発展途上諸国からなる最大の自由貿易地域でもある。
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