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改革開放と「同い年」 楊福さん
本誌記者 趙飄  ·   2018-07-23
タグ: 改革开放;北京;社会
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6月の北京は、まだ炎暑とはいかないものの夏の陽気が続く。仕事が終わった後の楊福さんの足取りはことのほか軽かった。金曜日は家に帰れる日だからだ。

「家は北京にありますが、故郷の山西省にもあります。今日帰るのは故郷のほうの『家』です」。楊さんは記者にこう語った。

今年40歳の楊さんは、夢を胸に抱いて全国各地から北京へ来て必死で働く数百万余りの地方出身者の一人だ。

一家の「幸運の星」

1978年夏、山西省天鎮県葛家屯村の楊家に新しい命が誕生した。喜びに浸る一家だったが、同時に心配事も増えた。当時、楊家は村の寄り合い住宅の狭い部屋に6人で住んでいた。新しく男の子が生まれたとなると、生活する上でさらに負担が重くなるからだ。

しかし、後の事実は、この新しい命がもたらしたのは負担ではなく、一家の生活を変える福運だったことを裏付けた。

その年の冬、安徽省鳳陽県小崗村の農民18人が「命をかけた誓約書」に署名し、村内の土地を分配して請負い、世帯生産請負責任制の先駆けとなった。農村土地改革の春風はたちまち小崗村から全国へ広がった。1983年末には、全国で95%以上の農家が生産の個別農家請負いを行い、全国で世帯請負経営を実施する土地面積は耕地総面積の97%を占めるようになった。

「私の家には1983年に土地が分配されました。土地を持てたことで、家族の暮らしは本当に改善されました」と楊さんは振り返る。土地を分配されると、楊家ではコムギ、ジャガイモ、各種雑穀を栽培した。家族が食べていけるようになっただけでなく、毎年いくらか貯金することもできるようになったという。

1990年、楊さんの家は村の中に6部屋ある一戸建ての家を購入し、ようやく狭苦しい寄り合い住宅から引っ越した。

2016年の冬、楊福さんの実家の庭にうず高く詰まれたトウモロコシ。(楊福さん撮影)

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