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漫画と中国書画のコラボに挑む中国台湾の戴海韵さん
  ·   2017-04-27  ·  ソース:
タグ: 中国台湾;漫画と中国書画;中日交流
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戴海韵さんは、日本で漫画を専門として3年間学び、たくさんの漫画作品も刊行した。そして、中国台湾に戻ってから、中国伝統の絵画アートからインスピレーションを得ようと、国画(中国書画)クラスに通い始めた。原籍が重慶の80後(1980年代生まれ)の女性である戴さんは、国画と漫画をコラボさせる道を歩もうとしている。(文:伊永軍。華龍網掲載)

漫画が好きになり漫画家志す

1984年に台湾地区台中市で生まれた戴さんの祖父は重慶江津区出身で、国民党部隊の自動車兵として48年に台湾地区に来た。つまり、戴さんは典型的な台湾地区3世代目。子供のころから大人しい性格だった戴さんは、アニメを見るのが好きで、幼いころに日本のアニメ「ドラえもん」を見て、それを模写し始めた。そして、少し大きくなってから、アニメ「幽☆遊☆白書」を見て、漫画家になることを志すようになったという。

その時から戴さんは絵を描き続け、模写だけでなく、オリジナル作品も作るようになるなど、完全に漫画に夢中になった。大学時代、漫画に夢中だった戴さんが、中国語を専門に学ぶことを選んだ理由について、「まず文学にとても興味があったし、一人前の漫画家になるためには、しっかりとした言語の基礎を作らなければならないと思った。中国語学部では散文や小説など、さまざまなジャンルの作品の構想やテクニックを学ぶことができ、漫画のストーリー設定の助けとなる」と説明する。

日本で3年修行して漫画で自活できるように

2009年、戴さんは漫画産業が発展している日本に留学することを決め、漫画家のアシスタントを務めるようになり、漫画家が原稿を仕上げるのをサポートするうちに、多くのことを学んだ。

3年後、戴さんは台湾に戻り、創作活動を始め、現在に至っている。「初めのころ、家族は、『この業界では飯を食っていけない』と私が漫画を勉強することに反対だった」というものの、外見は温和でも、強い信念を持つ戴さんは、自分で決めたことをそう簡単にあきらめず、「家族を説得し続け、自分が漫画家として進歩していることを示すことで、家族の考え方を変えた」という。

その後、戴さんの作品は人気を博するようになり、作者と読者が交流するイベントに参加して、お金を稼ぐこともできるようになった。「漫画を描いて自活できるようになった私の姿を見て、家族は、『漫画も仕事になる』ことを認め、今までの考え方を変えてくれた。そして、私がこの道を進み続けることを許してくれ、あれこれ言わなくなった」という。

国画の巨匠に弟子入りして国画と漫画をコラボした独自の作風確立

将来について、戴さんは、「中国大陸部に行ってキャリアを積みたい。現在、中国大陸部はとてもオープンになっており、漫画家とファンが交流できるイベントもある。昨年、上海と成都に行ったが、現地の漫画産業の状況も良かった。台湾地区に比べて、中国大陸部の前途はもっと明るい」と話す。

戴さんは現在、絵画の基礎をさらにしっかりさせるため、国画の巨匠・楊鄂西さんの国画クラスで勉強をしている。「漫画と国画は異なる世界で、国画は、構造と趣を重視するものの、その留白(余白の部分を作る)などの技法は漫画にも使える。だから、それぞれの長所を取って短所を補い、それぞれを参考にして独自の漫画の作風を構築したい」と戴さん。(編集KN)

「人民網日本語版」2017年4月27日

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