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東京で中国の舞台「兄弟」が大好評 そこに中日相互理解のカギ
  ·   2016-06-02  ·  ソース:人民網
タグ: 東京;中国の舞台;中日交流
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今年3月末、東京池袋にある劇場での出来事だった。その日、会場は満員になり、午後1時半から4時15分まで、間の15分の休憩を除いて、3時間近くの上演中、誰も席から動くことなくはなかった。(文:陳言。瞭望東方週刊掲載)

上演されていたのは中国の作家・余華さんの長編小説「兄弟」の舞台版だ。

上演が終わり、余さんが舞台に上がると、会場は拍手に包まれた。

「日本の脚本家や役者が、私の小説で描写されている物語を、こんなに細やかかつリアルに演じてくれるとは思ってもみなかった」と余さん。

確かに、「兄弟」が描写しているのは中国の改革開放(1978年)前後の数十年に起きた社会の大きな変化で、安定した構造の社会で生活している日本人にとっては、そのような変化は想像もつかないだろう。しかし、小さな個人の大きな変革におけるさまざまな運命を描いたこの舞台は、日本人に理解し、感動してもらうことができた。

兄弟二人のうち、兄は国営企業を退職することになり、商売を始めるものの失敗。一方、工場の下請けをしている弟は、順調に商売を拡大し、海外事業にまで手を伸ばすなど、大成功を収めていた。

政治、経済の大きな波はやがて過ぎ去り、家族への思いや人生の意義、そして失われた命が、どんなことがあっても、兄弟は兄弟であることに気付かせてくれた。

「兄弟」で描かれているのは中国人が経験した人生の起伏であるものの、経済の起伏やバブルの崩壊などを経験してきた日本人にとっても、決して他人ごとではない。

日本は第2次世界大戦後の廃墟から復興し、経済は頂点にまで上り詰めた。しかし、1980年代にバブルが崩壊し、経済は低迷。多くの人が失望を経験し、社会は低迷したまま、にぎやかさを取り戻すことはなかった。劇場がある池袋は、東京の繁華街であるものの、近年は高層ビルが建設されることもほとんどない。

日本人は非常に落ち着いているが、実際には過去の繁栄を忘れることはできておらず、「変化」を待ち望んでいる。「兄弟」は日本人に、なつかしい過去にタイムスリップする機会を与えたと言えるかもしれない。

舞台版「兄弟」の脚本を務めた松本祐子さんは取材に対して、「原作を何度も読み返した。そして、ストーリーの起きた場所ではなく、登場人物の個性や運命に焦点を当てることにした。そうすることで、文化や国境を超えることができると信じているから」と語った。

「兄弟」の舞台が東京で成功したことで、中国の文学や演劇、芸術が政治の深い霧を超え、日本人の理解と共鳴を得ることができる可能性が提供された。そうであれば、今後、一層多くの中日の作品がそれぞれの国で、出版されたり上演されたりするようになるに違いない。

振り返ってもう一度考えてみると、中日の民間にある誤解はどのようにして解けばいいのだろうか?メディアの報道を座って待っているだけでは無理で、「兄弟」のような真実味のある物語や誠実な態度をもって、一歩一歩、人の心に存在するわだかまりを解いていかなければならないだろう。

近年、「中国」は常に日本人の注目の的となり、多くの情報が新聞で報道されている。そして、複雑で難解な中国の様子がテレビで紹介されている。だが、中国の変化はどんな変化なのだろう?そのような変化をどのように理解すればいいのだろう?中国の数十年の変化の全体を見渡せる機会があれば、日本の一般読者や視聴者にも、隣人でありながら、あまりよく知らない中国人のことを理解してもらうことができるかもしれない。(編集KN)

「人民網日本語版」2016年6月2日

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