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イノベーションが生み出す「国家の切り札」
本誌記者・李一凡  ·   2019-09-24  ·  ソース:北京週報
タグ: イノベーション;瀋陽;経済
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1992年5月、瀋陽鼓風機集団股有限公司(以下、瀋鼓集団)の前身である瀋陽風機工場で働き始めて1年足らずの汪創華氏は、重要な仕事を任された。国家レベルの化学肥料プロジェクトのために、圧力が160キロに達する2台のコンプレッサーを設計することになったのだ。「入社して間もなくこのようなプロジェクトを担当し、たいへん心が躍りました。われわれ中国企業の製品がついに海外と競えるようになったと感じたのです」。遼寧省営口市の生産試験拠点から瀋陽に戻ってきたばかりの汪創華副総エンジニアは、瀋鼓集団に勤めだした頃の様子をそのように振り返った。 

瀋鼓集団副総エンジニアの汪創華氏(撮影・本誌記者張

汪氏が勤める瀋鼓集団は1934年の創業で、1952年には中国初の送風機専門の製造工場となった。60年以上の間、瀋鼓集団は一貫してエネルギーと化学工業設備の分野に力を注ぎ、無数の「中国初」を生み出し、中国国内で絶えず同業種における先駆者であり続けた。今では中国の重要技術設備業界の支えとなる、戦略的なリーディングカンパニーとなっている。だが、1990年代初頭を振り返ると、瀋鼓集団の経営は順調であるとは言えなかった。 

一時は苦境に陥った瀋鼓集団

1990年代、改革開放の深化と拡大が続くに従って、多くの企業が相次いで生まれ、各種の設備に対する需要は急速に増えていった。しかし、国内の設備製造企業としては抜きん出た存在でありながら、瀋鼓集団が受ける注文はわずかなもので、一時は資金面でも危機的状況に陥った。 

空中から撮影した瀋鼓集団本社(撮影・本誌記者張

瀋鼓集団に注文がなかった大きな要因は、その技術レベルの低さを顧客が心配したことにあった。当時、中国国内の設備製造企業の技術レベルは海外企業に遠く及ばず、瀋鼓集団は小型設備を生産しているだけで、市場が求める中大型コンプレッサーは輸入に頼るしかなかった。 

業界内には「コンプレッサーがひとたび起動すれば莫大な金を生み、止まれば利益はゼロになる」という言葉がある。コンプレッサーはエネルギーの転換を通じてさまざまな気体や液体を運ぶことができ、まるで人体における心臓のはたらきと同様であることから、「工業の心臓」と称される。このように要となる大型工業用設備を輸入だけに頼るのは、自国の「工業の心臓」を他国に渡すことにほかならなかった。 

要となる核心技術を買うことも、求めることもできない。どうすれば技術レベルを高めることができるのか?いかにして1日も早く海外製に匹敵するコンプレッサーを作り出すことができるのか?瀋鼓集団で働く人々にとって、このことは日々考える問題、奮闘する目標となった。その答えはただ1つ、自らのイノベーション・研究開発しかなかった。

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