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ヘレン・スノーとの80年の時空を超えた出会い
本誌記者 梁宵  ·   2016-10-18  ·  ソース:
タグ: テレビドラマ;エドガー・スノー;文化
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1936年、若き米国人記者エドガー・スノーは2台のカメラと24本のフィルムを携えて陝西北部を訪れ、長征を勝利のうちに終えたばかりの毛沢東、周恩来ら中国共産党指導者たちを何度も取材し、紅軍(中国共産党軍)と長征に関する大量の資料を収集した。そして有名なノンフィクション書籍『中国の赤い星』を著し、西側の読者に初めて中国共産党員のリアルな生活と精神を伝えた。

『中国の赤い星』は出版されるとたちまちセンセーションを巻き起こした。その後相次いでロシア語、ドイツ語、フランス語、イタリア語、スペイン語、ポルトガル語、日本語など多くの言語に翻訳され、多くの西側の読者はこの本を通じて紅軍長征の物語を読むこととなった。スノーは、長征は英雄叙事詩であり、現代史上比類のない遠征だと称えた。スノーは読者に対し、自身の新作を次のように紹介している。「読者は、彼らを征服することのできない存在にした精神、力、欲望、情熱をうかがい知ることができる――こうしたものはすべて、断じて1人の作家が創り出せるものではない。人類の歴史そのものの豊かで輝かしい精華なのである」。

80年後の2016年10月17日、米国記者スノー夫妻が1930~40年代に独自の視点で中国革命と紅軍長征を記録した様子を描いたテレビドラマ『中国の赤い星』が、中国で視聴率の最も高いテレビ局の1つである湖南衛星テレビでゴールデンタイムに放送されている。先ごろ、本誌記者はドラマのヒロインであるエドガー・スノー夫人ヘレンを演じた米国人俳優のエリゼ・リボンズさんにインタビューした。

ヘレン・スノーとの時空を超えた出会い

中国では、エリゼという名を知る人はほとんどいない。しかし彼女の中国語名が「柳素英」だと言えば、中国国際放送局パーソナリティ、舞台演出家、映画・ドラマ俳優として、多くの人に馴染みの存在だ。エリゼさんの説明によると、ドラマ『中国の赤い星』は、中国で撮影されたドラマでは初めて主人公が2人とも外国人で、大量の英語のセリフで演じられた中国革命ドラマだという。

「中国では、長征の物語をほとんど誰もが知っています。このドラマで描く物語には長征も含まれてはいますが、それだけではありません」。エリゼさんは記者に、『中国の赤い星』は、革命物語の叙述と指導的人物の描写に主な精力を注いだ同類のドラマと比べて、ユニークな点があると語った。紅軍長征80周年記念作品ではあるが、ドラマは長征という歴史事件を直接描写するものではなく、米国人スノー夫妻の視点で側面から紅軍長征の物語を描いている。彼らは1932年から1949年にかけて組まれた2人だけのチームだった。任務は1つだけ。中国を知り、中国を伝えることである。そして『中国の赤い星』の執筆は間違いなくこの2人のチームにとってクライマックスであった。

エドガー・スノーと比べて、エリゼさんが演じたヘレン・スノーの中国における知名度はそれほど高くない。しかし、ヘレンはドラマ『中国の赤い星』における最も重要な女性登場人物である。制作スタッフはリアルなヘレン・スノーを再現しようと考えた。

ヘレン・スノーの中国語の伝記『ヘレン・スノーと中国』(武際良 人民出版社 2011年版)によると、エドガー・スノーの執筆素材を豊富にするために、1937年4月、ヘレンは国民党スパイの監視を避け、たった1人で密かに北平(北京の旧称)を離れ、幾度も困難や危険に遭いながら延安にたどり着いた。延安に滞在した5カ月近くの間に、ヘレンは朱徳総司令官やスノーが延安を離れた後に中央紅軍と合流した紅二・紅四方面軍の将校など、夫が取材できなかった紅軍指導者の状況を収集し、さらに毛沢東に対し5回にわたってロングインタビューを行った。こうした貴重な資料によって、『中国の赤い星』の内容は極めて充実したものになった。

エリゼさんは言う。「どれだけ大変だったことか!車のトランクに隠れて捜索の目を逃れ、1人で延安に行くなんて。あの時代に、女性にとっては狂気の沙汰ですよ!本当に勇敢です!命の危険を冒して延安に行き、スノーの『中国の赤い星』のために素材を補い、スノーの自筆原稿を整理し、執筆に加わったのはヘレンなんです。それなのにヘレンは本に自分の名前を載せなかった。一番残念に思っているのは、ヘレンがあれほどのことを経験しながら、書き残した物が少なすぎることです」。この遺憾の念を補い、この役をしっかり演じるために、エリゼさんはヘレンの生涯と業績を深く掘り下げて研究した。そして、自身とヘレン・スノーにあまりに多くの共通点があることに気づいた。ヘレンを演じることは、あたかも80年前の自分と対話するかのようだった。

1931年、24歳のヘレンは中国にやって来て、上海の米国領事館で働き、その後はメディア関係の仕事に就いた。ヘレンは最初中国に特別な感情を抱いていなかったが、最後にはこの土地を深く愛するようになった。一方エリゼさんは、もともとはエジプトでアラビア語を学ぶつもりだったが、クーデターが起きたために留学の計画を取りやめた。2001年末、20歳のエリゼさんは偶然から中国へ来て中国語を学ぶことを選び、卒業後はヘレンと同じように米国大使館で働き、後にメディア従事者になった。

エリゼさんは言う。「これほど長い年月が経ちましたが、中国は変わっていないと思います。中国の経済は発展し、教育水準は高くなりましたが、中国の文化的な土台は変わっていない。『三国志演義』のようにね。商談に参加すれば、中国人が今も『三国志』に記された戦略を使っていることに気づきます。まるで赤壁の戦いが再現されているみたいです。中国人の大家族意識、もてなし好きなところなど、当時ヘレンを引き付けた中国的な要素は、時空を超えて今も私を引き付けています」。

ヘレンとエドガーの婚姻はそう長くは続かなかった。彼らは1932年に結婚したが、40年代には関係が悪くなり、1949年に正式離婚した。しかしヘレンはずっと「スノー」という姓を使い続けた。

「ヘレンはエドガーに対して一種のfan-girl的な崇拝の気持ちを抱いていました。エドガーは全体としてはヘレンのことを愛していましたが、利己的なところがありました。素晴らしいカップルというのは、自分を愛する気持ちよりも相手を愛する気持ちが勝っているはずですが、エドガーは違った。彼らは求めていたものが違ったのだと思います。ヘレンは落ち着いて静かな生活が送りたかったけれど、スノーはそうは思わなかった。でも離婚後も彼らはずっと連絡を取り続け、友情は続きました」。スノー夫人を演じる俳優として、エリゼさんは夫妻の関係が破綻したことを残念に感じている。

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